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2004.05.30

『私生活』高橋源一郎、集英社インターナショナル

 高橋源一郎が雑誌に連載していたエッセイをまとめたもの。

 原宿、沼袋、鎌倉と住所を移しながら、その間胃潰瘍で死にかけたり、結婚したり離婚したり、という波乱の日々を送っていたことはファンなら誰でも知っていると思うが、そういった個人的な事情がそれぞれのパートの最初に、本になる時点で書き加えられている。

 その、あとから書き加えられた文章が、たぶん雑誌に連載されていたときとは違う色彩を本書に与えてしまっているような気がする。

 それは、あとから振り返って物事を見直す、ということの副作用なのかもしれない。

 全体としては、決して暗いエッセイではないと思うのだが、なぜか私にはその印象が付きまとって離れない。

 死にまつわるエッセイは、それをもっとも端的に表している。鎌倉編の「猫と墓のある風景」、そしてラストの「さよなら、ママ」。

「猫と墓のある風景」は、もう死んでしまった昔の女友達の墓を訪れる話。

 どうでもいい話だが、私にも訪れるべき友人の墓はある。でも、それがどこにあるのか知らない。どうしても友人の家族に連絡して、法事の日程を聞いたり、墓所を尋ねたりすることができないまま、今日に至ってしまっている。

「さよなら、ママ」を読み終えたときは、私の母親の葬儀が済んで、親戚、そしてきょうだいが皆帰ってしまって、家の中に遺骨と私だけが取り残されて途方に暮れてしまったときのことを思い出した。

 私はこれからどうしたらいいのだろう?

 高橋源一郎は、父親と母親のことを「もっとも知るべきだった」人たちだという。私もまた両親のことを十分に知り、看取ったわけではなかったが、介護・看護に疲れ果てていた私は、もうじゅうぶんだ、と感じていた。

 知るべきことはたくさんあったし、今でも尋ねたいことがあるのだが、それでも、もうじゅうぶんだ、と思っている。今になってさえ。

 それから七年経ち、その間には納骨、法事も営んできたのだが、気持ちとしては、遺骨と私だけが取り残された夕方から何も変わっていない。段ボールで作られた祭壇の前に座って、これからどうしたらいいんだろうと考えあぐねていた、あの夕方と。

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2004.05.29

チャイ

 GWにトルコに旅行に行った友人からチャイをおみやげに貰いました(友人も、トルコの友人からおみやげに貰ったらしい)。

 チャイというのは「紅茶」という意味だそうだけど、英国式紅茶とは入れ方が違います。正しい入れ方はウェブを検索してください。どこかにあるはずです。

 で、友人が貰ってきた量が半端じゃなくて、1kg入りの袋三つ分。普通スーパーとかで売ってる缶入り紅茶の量が125gだといえば、そのすごさが分かって貰えるでしょう。

 もちろん一袋貰っても消費しきれないので、だいたい三分の一から四分の一くらいを分けて貰いました。それでもすごい量。余っていた密閉できる瓶があったのでとりあえずそれに詰め込んだけど、とてもじゃないけど入りきらない。ということで、百円ショップで瓶をもう二つ買ってきました。ひとつは誰かにお裾分けしようかな。

 さて、チャイの飲み方なんだけど、正しくは専用の器具でぐつぐつ煮立てて濃くなったやつを、カップにお湯と一緒に注ぐらしいです。

 でももちろんそんな器具は家にありません。ネットで探せば買えると思うけど、あまりお手軽ではないので、結局は面倒になって飲まなくなってしまうような気がします。

 そこで、普通の紅茶と同じような方法で入れてみることにしました。

 用意するもの。

☆ティーポット。とりあえず百円ショップで売ってるのでじゅうぶんだと思います。ウエッジウッドとか買うくらいならチャイ専用の器具を揃えた方がいいと思います。ちなみに私の使ったのは、百円ショップで買った急須というか土瓶というかポットというか、微妙なもの。

☆カップ。耐熱性のものなら何でもOK。私はマグカップを用意しました。たくさん飲めるように。

☆茶こし。実はポットの内側の口のところに小さい穴がいくつも空いているタイプだったので(だから土瓶か急須かもしれない)そのままカップに注いだのだけど、茶葉がたくさん出てしまいました。だから茶こしは必需品でしょう。

 あと、テーブルが熱に弱い場合は、布とかコルクでできたコースター、または代用品を用意しておいた方がいいと思います。カップの分だけじゃなく、ポットの分も。

 入れ方ですが、まずお湯を沸かします。水道水でじゅうぶんでしょう。薬缶の口から少し湯気が出始めたら、ポットとカップにお湯を注いであたためます。この作業をさぼると、味が数段落ちますので、ここだけは手を抜かないでください。暖めるのに必要な分だけ、お湯も少し余計に沸かしておきます。

 ポットのお湯はすぐに捨てます。ここからは時間との勝負です。百円ショップで売ってるくらいの大きさのポットなら、茶葉を軽く山盛りに二杯から三杯くらい入れます。この辺は試行錯誤してください。好みがありますから。

 そして、ポットのお湯がぐらぐらに煮立つ直前にポットに注ぎ、蓋をします。冬ならティーコージー(ティーポットのカバー)を被せておくといいでしょう。ぐらぐらに煮立つ直前、というのは以前NHKの「ためしてガッテン」という番組で美味しい紅茶の入れ方、というのを見て知りました。だいたい95℃くらいだったと思います。検索すると、より詳しい情報が出てくると思うので、不安な方はそちらをご覧ください。

 ただし、正しいチャイの入れ方は茶葉をぐつぐつ煮出すので、このプロセスで決定的に味が変わってしまうかもしれません。

 あとは、適当な時間待ちます。だいたい三分くらいがいいような気がしますが、計ってないのでいい加減です。

 三分くらい経ったら、茶こしを使ってカップに入れます。たくさん飲みたいときは、三分間のうちにお湯を沸かしておいてカップに注いで減った分のお湯を足しておきましょう。

 文章にすると長くて面倒ですが、やってみるとかなりお手軽です。でも、正しいチャイの味を知らないので、いつかトルコ料理の店に行ってきちんと入れたものを飲んでみたいと思います。たぶん、かなり味が違うと思います……

 ちなみにこのやり方は、ティーセットなんか持ってないよという人が缶入りの紅茶を貰ったときなんかにもそのまま使えます。投資金額は、新しくカップを買うとしても数百円(ポット、カップ、茶こし、コースターなど)。代わりになるものがあればそれを使ってもOKです。

 チャイは、日本でも買えるのかな?たぶんネットを検索すれば見つかると思うし、輸入食料品店なんかを覗いても見つかるかもしれません。

 味は、紅茶に微妙に番茶とスパイシーなフレーバーを付けた感じで、紅茶よりも胃に優しい感じがします。どんな料理のあとに飲んでも美味しいんじゃないでしょうか。

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 その後「チャイその後(保存編)」というのも書いたので、ご参考までに。

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攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG #03, #04

#03 CASH EYE
#04 NARURAL ENEMY

 #01で9課が再建され、またもや「笑い男」のような、でも性質の違う犯罪組織……なのかどうかもわからない相手との死闘が始まる(#02だけ少し趣が違う)。

 #03、#04では1stと同じような9課の活躍を見ることができるのだが、すでに伏線が張られ始めているので注意(#01から伏線は張られている模様)。1stではサリンジャーが重要なモチーフとなっていたが(おかげでサリンジャーの『ライ麦』とか読み返しちゃったし、読んでなかったやつで新たに手に入ったやつも読んじまったぜ)、今度は何がモチーフ、あるいはバックグラウンドとして出てくるんだろう?もう少し見ないと何ともいえないな……

 ストーリーとかはネタバレにもつながるし、何も知らないで見た方がおもしろいと思うのでこれ以上書きませんが、1st見て面白かった人は見た方がいいとかも。

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2004.05.27

SSRI

 抗鬱剤の一種(だと思う)。最近すごくよく効いている。酒でも飲まなきゃできそうにない××××とか、×の××とか平気でできてしまいそうで恐ろしい。

 時々コントロールが聞かなくなって、楽しいかもしれないけど人には言えないようなバカなこともやってしまう。

 でも、警報機の鳴っている踏切で遮断機を潜りそうになる衝動に打ち勝つ必要がないのは楽でよい。でも、神経症って鬱病と違って本当に自殺する例はあんまりないんだって。でも、自殺未遂未遂みたいのはよくやってたよ。リストカットの真似とか。包丁をよく研いでから手首に当てたり(カッターは安易っぽくて趣味じゃない)、頸動脈のあたりに当てるとか。ああいうとき、リストカッターの気持ちがちょっとだけ分かるような気がするけど、たぶん勘違いしてると思う。最初にあやまっとくね、ごめんなさい。>リストカッターの人たち

 とにかく、向精神薬ってやつがこれほど効くものだとは思わなかった。危ないクスリに手を出したくなる気持ちも、ちょっとだけ分かるような気がする。もちろんそんなことはしないけど。何しろ今、いわゆるではないけど、危ないクスリを処方して貰っているわけだから。危ないってのは脳に効くっていう意味でね。問題になったりしているリタリンと違って、SSRIは常習性とか副作用が少ない。でも、ハイになりすぎるのはクスリが効きすぎているのでは?医者にそう尋ねたら、今はそのくらいでちょうどいいのだと言われた。

 もし私を知っている人が、私の行動が妙だと思ったら、クスリのせいだと思って欲しい。もっとも、もともと変ではあるらしいのだが。ときどきというかしょっちゅう人にそういわれてきた。心外だ。最初プロフィールに書いたように(消してしまったけど)、どこにでもいる、凡人です。わたくしは。だから、たいしておもしろいブログにもなっていないでしょう?

 ここには感想とかばっかり書こうと思ってたのに。ついクスリに誘われてバカなことを書いてしまった。まあ、クスリの感想だからいいか。

 そしてもっとバカなことに公開してしまうのだ。後悔するかもしれないけど、ハイだから大丈夫だ。

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2004.05.25

Kill Bill vol.2

 やっと見に行きました。

 気が付いたらほとんどの映画館での上映が終わってて、ものすごく焦りました。調べたらまだいくつかの映画館で上映されていたので、無事見ることができました。

 あと今回初めて金券ショップというのを利用したのですが、私のような貧乏人にはありがたいです。次回も利用するかな。あ、でもしばらく見たい映画がないかも。何か私の好きそうな映画があったら誰か教えてください。ちなみにいわゆる純愛映画とか青春映画(いわゆる、でなければ可)とか子供が主人公みたいな映画とか以外なら、だいたい楽しめます。あと、ファンタジーも苦手か……結構好き嫌いあるな。

 感想ですが、何を書いてもネタバレするので難しいな。期待を裏切らなかったのは確か、というか、やっぱりすごくよかった。バイオレンスなシーンはやっぱり最高です。

 ただ(微妙にネタバレ的になるのだけど)最後の方でテンポの緩急が突然変わって、それに私の脳の演算速度が付いていけなかった面があって、あれあれあれ?って感じになってしまった。

 それが、今日になってから分かってきて、じーんと来ているというか、喜びを噛みしめているというか、どうして私の脳はこんなにとろいの?って悔やんでみたり。

 もっかい見たいなあ。DVD待ちかな。ちなみにvol.1は限定ボックス持ってます。vol.2も限定ボックス出るだろうか?出るとしたらおまけは何?アイパッチ?(笑)

 なんか、映画たくさん見て批評とか書いてる人とかには評判悪いらしいけど、関係ないっす。私が神。

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2004.05.23

『落下する夕方』江國香織、角川文庫

『落下する夕方』というタイトルに心惹かれて、書店でこの本を手に取った。というのも、ここしばらく私の夕方が、限りなく落下しつつあったから。

 正直言って、読み始めてからある箇所に行くまで読むのが苦しかった。書いてあることはすべて正確に理解できるし、たとえば国語の問題にして出されたとしても(その問題が答えられる性質のものである限りにおいて。この小説を元に出題するには、解説にも書いてあるが、かなり難しいことだろう)、正確に答えることができるくらいの自信もあった。

 どんな言葉がいちばん近いだろうか。「腑に落ちない」だろうか、それとも「ピント来ない」だろうか。作者の「意図(広い意味での。念のため)」がうまくつかめないというか、顕微鏡で覗いていてピントもしっかり合っていて、見えているものが何であるかも分かっているのにそれを説明できない、スケッチできない、という感覚。

 字面を正確に追っている、といったらいちばん近いかもしれない。でも、なんていったらいいか、よくわからない。どんな言葉で人に伝えたらいいか、よくわからない。

 読み始めて何日目かの夜(読むのが異常に遅いのは、神経の病を患っているから)、睡眠薬と精神安定剤を飲んでベッドにうつぶせになって「8」(全部で「1」から「14」まである)を読み始めたとき、モノクロの世界が突然カラーになった。情報量が突然数万倍になった、

 つまり、突然物語の中に吸い込まれた。

 なぜなら、そこに書かれていたことは私の生活そのものだったから(もちろん細部に目をつぶれば、という条件は付くが)。私は突然主人公の梨果になった。百草園で健吾に別れ話を切り出され、健吾が一目惚れした華子が家に転がり込んできて(華子は健吾にそれほど興味を持っていない。「私」は健吾が部屋を出ていったあとも思いを断ち切れない)、奇妙な同居生活を始めてしまったのだ。

 この作者は夜中に小説を書いているのだろうか、と思った。そのくらいすとん、と私の心に小説が落ちてきた。でも、そうではないのかな。というのも、あとがきに、こんな言葉があったからだ。

「私の心は夕方にいちばん澄みます。それはたしかです。だから夕方の私がいちばん冷静で、大事なことはできるだけ夕方に決めるようにしています。
 私は冷静なものが好きです。冷静で、明晰で、しずかで、あかるくて、絶望しているものが好きです。そのような小説になっているといいなと思いながらこれを書きました。」

 私の心は夕方にいちばん掻き乱される。はっきり言って、夕方は怖くて、でもわくわくして、そして不安で、混乱する。たぶんそれだから、私は夕方に「落下」するのだ。

 クスリのせいもあるかもしれないけど、一日のうちでいちばん気持ちが済むのは、真夜中の、睡眠薬とか精神安定剤を飲む直前あたりではないか、という気がする。でも、あまり冷静ではない。私はだいたいいつでも同じくらい冷静で、同じくらい冷静でない。何か驚かされるようなことがあると、それが少し崩れる。

 あとがきと解説まですべて読み終わったあとで、私が華子だったらよかったのに、と心から思った。。でも、それは絶対に無理な相談なのだ。

(おまけ。『落下する夕方』の中でいちばん好きなのは、華子がABCの歌のLMNOPのところを「エレメのピー」と発音するところ。)

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2004.05.22

『ああ〜ん、あんあん』室井佑月、集英社文庫

 室井佑月を読むのは始めて。室井佑月の中でもどうしてこの本か、というと、ネットのあちこちでちらちらと表紙を見る羽目に陥っていたからだ(その理由は、ここではあまり触れたくありません)。

 ……エッセイ集なんだけど、何かすごい。赤裸々というかあからさまと言うか開けっぴろげというか。もちろん全部ほめ言葉です。このエッセイの終了したあとの事情(あとがきに書いてある)。を考えても、なんか、やっぱり、ものすごいパワーなのだ。

 作家の条件にはいろいろあるけど、この、闇雲なパワーというのは、実はその中でもかなり重要なものではないか、と感じてしまった。エッセイで、もちろん隠して書いてないことも、話を必然的に作ってしまっている部分もあるかもしれないけど、「普通ここまで書くか?」みたいなことが、あっけらかんと書いてある。

 ある意味、究極のリアリズムだなと思いました。

 エッセイなんだけど。ここまで自分を切り売りして大丈夫なんだろうか?私だったら死んでるな、というレベルで書けてしまえるのだから、ほんとうにすごい。皮肉じゃないです。尊敬してます。今度、小説も買います。読ませて頂きます。

 この一文が室井さんの目に触れることはないだろうけど、とても私には実現不可能なパワフルさを発揮してこれからも書いていかれるであろう室井さんを応援していきたいです。かしこ。
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『言いまつがい』[監修]糸井重里、東京糸井重里事務所

 電車の中や、公共の場で読むと思い切り後悔する本。というのも、笑いをこらえるのがかなり困難だからだ。

 中身は、誰かの言いまつがいを集めたもの。誰でもあるでしょう?言いまつがえることって。どんなものかちょっと覗いてみたい人は、ほぼ日刊イトイ新聞を参照してください。

 装丁もかなりまつがっていて、表紙に穴が空いていたり、本の天と地が平行でなかったり角が丸まっていたり。

 一度読んでしまうと内容を隈無く覚えてしまうので(そのくらいインパクトがある)、しばらく手に取らないと思うのだけど、装丁のすばらしさとか、読後感のすがすがしさとか、そういうことを考えるとやっぱり手放しがたくて、忘れた頃に本棚の隅っこから出てきたりして、もう一度笑いをこらえながらページを繰ることになりそうな予感が。

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2004.05.21

ロスト・イン・トランスレーション

 ソフィア・コッポラ監督第二作。平日の夜に見に行ったんだけど、映画館の前に着いたのが開演二十五分くらい前だったのに、立ち見かどうかの瀬戸際、というありさま。単館上映だから仕方ないか。私が見に行ったのは四月だが、五月からは都内でも三館上映になります。といっても新宿とか渋谷とはずいぶん離れたところばっかりなんだけど、ほかは。

 で、我々は(友人と見に行ったのだ)、立ち見覚悟で入場したのだけれど、運良く二階席に並んで席を取ることが出来たのだった。ラッキー。

 さて、この映画についてどんな感想を書いたらいいのかなってずっと考えてた。最初はソフィア・コッポラがやっぱりまだちょっと未熟なのかなって思ってたんだけど、翌日になって、じわじわと良さが解ってきた、というか、しっかり体に染みこんでいた、ということが解った。好きな音楽をMDとか使わなくても頭の中で再生できたりするじゃないですか。ああいう感じ。

 ものすごく乱暴ないい方をすると、普通映画を撮るときに発生するノイズのようなもの、邪魔になるようなもの、不必要と思われるもの、そういうものばかりを信じられないほどの繊細さですくい取ってまとめた、というよりも綴じた映画。

 ストーリーらしきものは存在する。東京にやってきたどちらも配偶者のいる、中年の俳優とまだ大学を出たてで結婚二年目の若い女。その二人がたまたま同じ新宿のパーク・ハイアットに止まっていたことから出会い、一週間の期間限定で恋をする、というもの。

 二人はずっと一緒にいて激しい恋に落ちる、というようなものではない。俳優は仕事に来ているのであり、女はカメラマンの夫に付いて東京にやってきたもののジェット・ラグで眠れなかったり、何もすることがなくて部屋の中に閉じこもっていたり、出かけていてもつまらなそうだったり。京都にも日帰りで出かけちゃったりしている。

 でも二人は偶然も手伝って次第に惹かれ合い、彼女の東京の友人たちとハチャメチャなパーティー的夜を過ごして、彼女は初めて心から東京に来て良かったと感じる。

 たぶんその晩から二人は「恋」を感じたのだろう。でもそれは期限付きの、期限付きといっても死とかそういう深刻なことじゃなくて、偶然スケジュールがそうなっているというだけのもの。

 深刻さがあるわけじゃなく、それじゃあ二人はいわゆる行きずりの恋をしたのかというと、もっと深いレベルに置いて惹かれ合っている。そのきっかけは異境の地東京における違和感と寂寥感なのだろうけど、そこから恋愛初期における誰でも感じるハイな感じ、ときめき、を共有し、でもちょっとしたことから気まずい思いをしたりする。でもそのことこそ、二人が本当に惹かれあっているということだ。と当たり前のことを断定口調で述べるのはちょっと恥ずかしいですね。

 何しろ東京です。私が生まれ育った街。彼女がパーク・ハイアットから眺める東京の街は、まるで東京の残像のようです。あるいはディレイ(遅延)が掛かっているように見えます。クリアなんだけど、違和感のある風景。

 ちょっとだけ、初めて私がロンドンの街を歩いたときのことを思い出しました。初めても何も、その一度だけしかロンドンへは行ったことがないのですが。

 それにしても、ビル・マーレイは本当に素晴らしかった。ソフィア・コッポラが彼でなくてはこの映画は撮れない、と言ったのも良く分かります。スカーレット・ヨハンソンもキュートで良かったし。

 そして、音楽がやっぱり素晴らしかった。途中のカラオケのシーンで誰かが「風をあつめて」を歌っていたところとか、絶妙でした。でも、カラオケで「ゴッド・セーブ・ザ・クイーン」を歌われたときは一瞬赤面してしまいました。というのも私の持ち歌だったりするからです。友人のつよしくんからは「日本でいちばんパンクだ」と言われているわたくし。

 そして、エンディングロールのところでケヴィン・シールズの歌とか流れたりするんですけど、その直前、映画のラストで流れるのがジザメリの「サイコ・キャンディ」だったりするので泣きそうになりましたね。ソフィア・コッポラと同年代以上でないと解らないかもしれないけど。

 エンディングロールの途中で席を立っていってしまった人たちが結構いたけど、その人たちは大変な損をしたと思います。というのも、最後に流れたのがはっぴいえんどの「風をあつめて」だったからです。そう、あの曲こそがあの映画の締めくくりにぴったりだったからです。壊れやすいもの、ほんの一瞬しか目にとまらないもの、両手を使ってもこぼれてしまう砂のようなもの、そんなものを象徴しているように聴こえたからです。

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『攻殻機動隊』士郎正宗、講談社

 以前スカパー(だったと思うが)で放送されたアニメは全部見たので、原作も読んでみようということになったのであった。

 分厚いので読むのに結構時間が掛かった。欄外の書き込みが夥しいと聞いていたのだが、それほどでもなかった。本文(つーか本編)と平行して読んでも頭の中で勝手にストーリーの時間をストップさせちゃうので特にぎくしゃくする感じもなかった。というか、あれ読まなかったらわけわからんのとちがうか?

 もちろんおもしろかったけど(アニメ見たときはサリンジャーまでひととおり読んでしまったくらいにははまった)、草薙素子(なぜ一度で変換できる>ATOK)の性格は原作(つまりこちら)の方が好みかな。

 読み飛ばしている部分もあるかもしれないので、少なくとももう一度は読んでみるつもり。

 もう語り尽くされているだろうから、これ以上わたしが付け加えることなんて何もないでしょ?だからこれ以上書くことは特にない……書くことがあるとすれば、ソ連が存続しているというのが書かれた時期からして当然のことなのだけど、ソ連が存続して北方領土が返還されている、という未来は、それはそれで魅力的だ(そういう世界が現実的に暮らしやすいかどうかは別として)。

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2004.05.20

台風

接近してるせいか、体調が変です。低気圧に弱いんです。聞くところによると犬も弱いんだそうです。

できれば関東直撃は勘弁して欲しいです。

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『柔かい月』イタロ・カルヴィーノ、脇功訳、河出文庫

 こういうのを書いてもいいんだなって。原題は「ティ・ゼロ」つまりt0のことだろう。本文にそういうのが出てくるから。

 地球の月に対する優越性、ありとあらゆる可能性の検討(ボルヘス的なものも含まれる)。こういういのもありなんだな。っていうか今まで読まないで損した気分。そういう本が世の中には満ちあふれていて、そのほとんどを読まないうちに死んでいくのだろう。

 読書家という人たちはチェーン・リーディング(そんな言葉があるかどうか知らないが)できるんだろうけど、わたしの場合脳という名の消化器官が脆弱なので、たとえ読了したのが朝のうちであったとしてもその日はもうそれ以上本を読めない(時々読めることもあるけど)。なんか、一度眠ってリセットしないとだめみたいだ。

 まあそんなことはどうでもいいんだけど、まだあんまりカルヴィーノを読んでいないわたしにはこれ以上書けることがない。何しろ文庫や新書サイズの本ではあまり手に入らなかったから。だから今回河出で何冊か出してくれるのは、とても嬉しいのだが、薄っぺらなのに850円もするところが個人的には辛い。薄っぺらなのは体裁であって、中身はなかなか歯ごたえがあってすばらしい。

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