『落下する夕方』江國香織、角川文庫
『落下する夕方』というタイトルに心惹かれて、書店でこの本を手に取った。というのも、ここしばらく私の夕方が、限りなく落下しつつあったから。
正直言って、読み始めてからある箇所に行くまで読むのが苦しかった。書いてあることはすべて正確に理解できるし、たとえば国語の問題にして出されたとしても(その問題が答えられる性質のものである限りにおいて。この小説を元に出題するには、解説にも書いてあるが、かなり難しいことだろう)、正確に答えることができるくらいの自信もあった。
どんな言葉がいちばん近いだろうか。「腑に落ちない」だろうか、それとも「ピント来ない」だろうか。作者の「意図(広い意味での。念のため)」がうまくつかめないというか、顕微鏡で覗いていてピントもしっかり合っていて、見えているものが何であるかも分かっているのにそれを説明できない、スケッチできない、という感覚。
字面を正確に追っている、といったらいちばん近いかもしれない。でも、なんていったらいいか、よくわからない。どんな言葉で人に伝えたらいいか、よくわからない。
読み始めて何日目かの夜(読むのが異常に遅いのは、神経の病を患っているから)、睡眠薬と精神安定剤を飲んでベッドにうつぶせになって「8」(全部で「1」から「14」まである)を読み始めたとき、モノクロの世界が突然カラーになった。情報量が突然数万倍になった、
つまり、突然物語の中に吸い込まれた。
なぜなら、そこに書かれていたことは私の生活そのものだったから(もちろん細部に目をつぶれば、という条件は付くが)。私は突然主人公の梨果になった。百草園で健吾に別れ話を切り出され、健吾が一目惚れした華子が家に転がり込んできて(華子は健吾にそれほど興味を持っていない。「私」は健吾が部屋を出ていったあとも思いを断ち切れない)、奇妙な同居生活を始めてしまったのだ。
この作者は夜中に小説を書いているのだろうか、と思った。そのくらいすとん、と私の心に小説が落ちてきた。でも、そうではないのかな。というのも、あとがきに、こんな言葉があったからだ。
「私の心は夕方にいちばん澄みます。それはたしかです。だから夕方の私がいちばん冷静で、大事なことはできるだけ夕方に決めるようにしています。
私は冷静なものが好きです。冷静で、明晰で、しずかで、あかるくて、絶望しているものが好きです。そのような小説になっているといいなと思いながらこれを書きました。」
私の心は夕方にいちばん掻き乱される。はっきり言って、夕方は怖くて、でもわくわくして、そして不安で、混乱する。たぶんそれだから、私は夕方に「落下」するのだ。
クスリのせいもあるかもしれないけど、一日のうちでいちばん気持ちが済むのは、真夜中の、睡眠薬とか精神安定剤を飲む直前あたりではないか、という気がする。でも、あまり冷静ではない。私はだいたいいつでも同じくらい冷静で、同じくらい冷静でない。何か驚かされるようなことがあると、それが少し崩れる。
あとがきと解説まですべて読み終わったあとで、私が華子だったらよかったのに、と心から思った。。でも、それは絶対に無理な相談なのだ。
(おまけ。『落下する夕方』の中でいちばん好きなのは、華子がABCの歌のLMNOPのところを「エレメのピー」と発音するところ。)
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