『クレイジー・ダイアモンド/シド・バレット』マイク・ワトキンソン、ピート・アンダーソン著、小山景子訳、水声社
シド・バレットの決定的な評伝。今後これ以上のものは出ないだろう。
そもそもシド・バレットとは誰なのか、というところか説明しなくてはならないかもしれない。英国におけるポップミュージック(もちろんロックだろうがメタルだろうがポップミュージックだ)に興味のない方は読み飛ばした方がいいかもしれない。
ピンク・フロイド――もうすっかり伝説化してしまったが――が活動を始めたと言っていいのは、おそらく1966年のことだろう。それ以前からバンドは名前を変えたりメンバーが交代しながら存在していたが、メンバーが固定してクラブで演奏を始めたのが66年のことだった。シド・バレット(ギターとリードボーカル)、ロジャー・ウォーターズ(ベース)、ニック・メイスン(キーボード)、リック・ライト(ドラムス)。この四人が後に続くピンク・フロイドの創設時のメンバーといって良いだろう。最初のアルバムはこの四人で録音されたのだから。
しかし、シドは二枚目のアルバムの途中でバンドを去ることになる(直接関係ないが、ずっと後になって出されたピンク・フロイドのボックスセットにはファーストアルバムは収録されていなかった。たぶん、その後のサウンドとあまりに違いすぎていたからだろう)。そしてその後シド・バレット名義の二枚のアルバムを出し、70年代の始めに「スターズ」というバンドでギグに出て失敗し、その後音楽シーンから完全に姿を消してしまった。
カリスマ的人気のあった天才的ソングライターであり、ルックスも良く、ギター奏法やサウンドメイキングに全く新しい方法を取り入れた革新者でもあった彼。
その彼がどうしてそんなことになってしまったのか。それはシドが精神をずたずたにされて(あるいはして)しまったからだ。原因はLSDのやりすぎのためだろうし、繊細すぎたためだろうし、才能がありすぎたためだろうし(彼は絵画に関してもかなりの才能を持っていた)、バンドや彼を取り巻かざるを得ない音楽関係者やグルーピーに取り囲まれて他人との距離、をうまくコントロールできなかったせいかもしれないし、彼自身が自分をどうにもコントロールできなかったためかもしれない。
いずれにしても、ユーモアに溢れてオーラを放っていた快活な青年は、二枚のシングルを出してバンドを成功に導いていくうちに精神を病んでいった。
この本を読んで始めて知ったのだが、ファーストアルバム『ザ・パイパー・アット・ザ・ゲイツ・オブ・ドーン(夜明けの口笛吹き)』(1967)を録音する頃にはシドをコントロールすることは周囲のほとんど誰にもできなかったらしい。あれほどの完成度を持つアルバムが!
そしてその後アメリカやヨーロッパで惨めなギグをいくつもこなして(シドはただ立っているだけだったり同じコードを引き続けていたり、という有様だったらしい)、67年の終わりには周囲とほとんどコミュニケートすることすらできなくなっていた。
シドはギグでは使い物にならなくなっていたので、バンドはシドの旧友でもあるデイヴ・ギルモアを五人目のメンバーとして迎え入れた。それで何回かのギグをこなしたが、シドがいることだけで何もかもがうまくいかなくなることがわかった。バンドは彼を辞めさせなければならないところまできていた。そこでバンドは彼をソングライターとして位置付けたが、68年の三月にはシドはバンドを去ることになった。
その後ピンク・フロイドは70年代を代表するプログレッシヴ・バンドのひとつとして成功を収める。
一方シドは病院に入院して治療を受けたりしたが、昔の状態に戻ったとは言えない状態で、二枚のソロ・アルバムを完成させた。それは、周囲のスタッフにとっては非常に難しい作業であったらしい。シドからの指示は特になく、セッションではなくオーバーダブによって音づくりを進めていった。
このあたりでだいたい本書の半分くらいで、残りの半分は時々目撃されるシドとその生活、音楽シーンから決定的に姿を消してしまう「スターズ」のギグの失敗、ケンブリッジで隠遁生活を営む彼の生活を脅かすファンやインタビュアーのことが綴られている。痛ましい限りだ。
でも、それさえなければ、彼はとても幸福そうに暮らしている、と彼の義弟は言う。彼は身内としかしゃべらないし、あとは自分の家に閉じこもるか散歩をして生活している。経済的にも何とかやっていける。ようするに、少し風変わりなところはあるとはいえ、普通の生活をしていると。
著者たちは、前書きの最後で次のように書いている。
シド・バレットが出したと言えるレコードは、ソロ・アルバムを含めてもたった三枚程度しかない(注:他にアウトテイク集と言える『オペル』というアルバムも後になって発表されているし、ブートレグも出回っている)。それなのになぜこれほどの神話が彼の周囲に形作られたのかという点が、最初に我々の関心をひいたことだった。明らかに天賦の才能に恵まれた一人の若いソングライターについて、現在では主に彼の狂気の奇行――それも真偽の不確かな――のみが世間から取り上げられるというのは、あまりにも皮肉な結果と言う他はない。本書はその事実を正確に記録しようとする試みである。
現在横行するに至った「バレット狩り」は見るからに苛立たしいものであるし、ひどい場合にはわきまえのない輩による覗き趣味が高じて、非常にしつこい追い回しとなっているふしもある。シド・バレットを取り巻く謎を明らかにすることによって、彼自身が少しでも平穏に暮らせるようになってくれることを願う。
私も彼が平穏な暮らしを送れるように願っている一人だ。そしてもちろん、私もシド・バレットの熱狂的なファンの一人である。
本書を読み終えて、ピンク・フロイドの名曲のひとつ、「シャイン・オン・ユー・クレイジー・ダイアモンド」を想起してしまった。この曲がシドをモチーフにしているというのは有名な話であるし、この曲を録音中にシドがスタジオを訪れた、という真偽が定かでなかった逸話も本書に載っている。
『ウィッシュ・ユー・ワー・ヒア(あなたがここにいて欲しい)』というアルバムタイトルは、私の先ほどの主張とも本書の目的とも矛盾する点があるが、シドのことを考えるとどうしてもそういう気持ちになってしまうのではないか。
しかし、シド・バレットの曲は、そんな感傷とは無縁の、誰にも手の届かない彼方にあり、そんなこと知ったことじゃないよ、と勝手に輝き続けているのだ。
ところで本書の原書が出版されたのは十年くらい前のことで、確か渋谷のタワーレコードに山積にされていたという記憶がある。山積というのは記憶の誇張かもしれないが。もちろん手にとって見たけれど、厚さ3センチ弱のペーパーバックを読みこなす程の語学力は私にはなかったし(今はもっとないが)、ぱらぱらとページを繰ってその場に置いて帰った、ということがあった。
それが少し前に、偶然本書をネットで発見した。出版されたのは三年前。ぜんぜん知らなかった。届くとすぐに、一気に読んでしまった。
そういうわけで、訳者の小山景子氏には、言い尽くせないほどの感謝の気持ちを抱いています。この一文を読まれることはないでしょうが、訳してくださって、ほんとうにありがとうございました。
それから、もしこの拙い感想文を読んで、新たにシド・バレットに興味を持った方がいらしたらいいなと思わずにはいられません。特に若い人に聴いて欲しいと思います。古くさいと思うかもしれませんが、今聴いているさまざまなポップミュージックのルーツをそこに見いだすことができるかもしれません。
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Comments
子供の頃、ディープパープル、レッドツェッペリンに夢中だった私にはピンクフロイドは分かりずらいバンドでした。二つ上の兄は理解していたのか凄いと言って初期のアルバムはほとんど買っていました。先日、ストラトの記念イべントで私のギターヒーローでもありやはり先日惜しくもなくなったゲイリームーアが霞む程の異彩を放っていたのがデイブギルモアでした。今更ながらピンクフロイドの偉大さを知ったのでしたが、デイブギルモアはただの演奏者だったということをこの記事で知り私の中でジミヘンに次ぐ、ストラトの天才のやはりLSDによる実質の早逝は惜しまれてなりません。
Posted by: tokita117 | 2011.04.24 07:16 AM