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2004.12.01

未映子@表参道FAB(2004/11/30)

 未映子さんは魂を歌っているのだと直感した。

 この日は「ココロノアリカ11」というイベントで未映子さんを含めて四人の女性ばかりのアーティストが登場したのだが、未映子さん以外の初めて聴いた方たちについては日を改めて。できれば明日。あのときの空気が頭の中に残っているうちに。

 未映子さんはいちばん最初の登場。フォークギターとキーボードを従えて。

 いつも通りの圧倒的な歌と、声。でも、これまでに聴いたどのライヴとも少し違っていた。何か微妙なこころの震えのようなものが伝わってきた(後で述べるけど、否定的な意味で述べているのではない)。そして、歌い始める前に精神を集中させるように顔を押さえたり、間奏や歌が終わったときには泣き出しそうに、あるいは悔しそうに見えた(あくまでも私にそう見えた、ということなのだけど)。

 もちろん未映子さんがどんなことを思ったり感じたりしていたのかはわからない。でも、自分自身にピントが合っていないように感じているように、あるいは思い通りにならない苦しみのようなものが垣間見えたような気がした。

 ジャンルとしては未映子さんの音楽は「ポップス」に括られてしまうのだろうけど(未映子さんの日記じゃないけど、私たちは経済活動から自由になれない。もちろん音楽の「ジャンル」や「カテゴライズ」も経済活動なのだけど、そこに介在しているのは皮肉にも「歌」を作っているのと同じ「ことば」なのだ)、未映子さんの歌手やソングライターとしてのスタンスはブルースに近いのではないだろうか。そのときの自分自身を全身全霊を傾けて歌い上げること、あるいは自分の魂を曝け出してしまうという点において。

 未映子さんは、自分はなんにも知らないとおっしゃっていたけど、「世界の秘密」に触れている(知っている、ではない)数少ない一人なのだから(たぶん一時的な気の迷いだと思うのだけど)気にする必要はないだろうと私などは思うのだ。

 苦しみを、あるいは気持ちの違和感を、悲しみを、そのまま歌ってしまうということ。これは勇気があることとかそういうことじゃなくて、「そういうふうに生まれついてしまった(遺伝子について語っているわけじゃなくて、比喩として)」ということなのだ。

 そういう未映子さんを私は全面的に支持するし、信頼する(よく間違う人がいるけど、「信頼」の逆は「絶望」であって、「裏切り」ではない。「裏切りの」逆は「期待」だ)。

 私は、千回同じ曲を歌ったら、そのすべてが違って聞こえるような歌手を信頼する。生きていて、全く同じこころの状態になることは(不思議なことだェ)絶対にない。もしあったとしても、私たちはそれに気付くことができない。気付いた時点でそれは全く別の何物かに変わってしまうからだ。未映子さんはたぶんそういうことを歌える歌手なのだ。

 最後の「悲しみを撃つ手」は、未映子さんのぼろぼろかもしれない魂が凝縮されていて、これまでに聴いた中でいちばん私のこころに直接伝わってきた。「ことば」と「音」でできている歌が、まるでことばも空気もない世界で伝わってくるように。涙は出て来なかったけど、心の中では泣けてしまっていた。

 未映子さんがこの文章を読むことがあるかどうかはわからないけど(ネット上ではそういう偶然も否定できない)、未映子さんが自分の魂を歌うことを余儀なくされた(それは業かもしれないのだけど)、ほんとうに希有なシンガーであって、「経済活動」とか、「ことば」とか、そういうものに翻弄されてしまったとしても、自分自信を信じて歌い続けて欲しい、と切に願うのでした。

 さらに願わくば、私のことばがこの拙文を読んだすべての方たちに正確に伝わりますように。

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