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2005.06.27

ONJO@森下文化センター

 江東区森下は朝顔市とのらくろの街だった。来週7月3日が朝顔市。それからのらくろグッズを売ってるお店とか、「のらくろード」という商店街まである。

 森下文化センターはその「のらくろード」の途中にあった。

 会場ぎりぎりに到着したのだけど、もうたくさん人が並んでいた。でも一人だから何とかなるだろうと思っていたら、やっぱりそこそこいい席を取ることができた。でも、あの演奏なら、会場のどこにいても最高だったろうけど。

 ONJOとは「OTOMO YOSHIHIDE'S NEW JAZZ ORCHSTRA」の略だ。大友良英さんはいろんなことやってきてるし、今もやっているから、ユニットとかバンドの名前をいわれてもたくさんありすぎてよくわからない。それに、毎回メンバー違ってたりするし。

 今回のライブはONJOのCD発売記念ヨーロッパ―日本ツアーの最終公演。三月だか四月だかあのときはこっちが壊れてたのでいけなかったし、カヒミさんや浜田さんのライブチケットはあっという間に完売だしで、今回を見逃すことは意地でもできなかった。

 えーと、実はまだCD聴いてないんですが……最近なかなかパワーが足りなくて。未読本や未聴CDが山積してる。

 でもたぶんそんなの関係ないやと思って出掛けたんだけど、やっぱり関係なかった。微(美)音から爆音まで。どうしてジャズオーケストラなのに爆音が出せるのか。ONJEだったと思うけどやっぱり爆音出してたけど、今回目の当たりにして、その秘密はますます謎に包まれてしまった。単にでかい音出せば爆音になるってものじゃないからね。電気を使った楽器や装置は確かにあったけど、それはサイン波だったりよくわからないノイズだったりセミアコのギターで、あとはリズムセクションとホーンセクションとビブラフォン……と言いきれないんだけど。不思議な楽器が登場したりもしてたし。

 ほとんど暴力的な爆音を出すバンドでウイスパー・ボイスのカヒミ・カリィが歌ったり朗読したり。

 ひと言でも二言でも三言でもいくら言葉を連ねても説明しきれない。

 ただ、個人的にはあのライブを聴いたことで、今世界中で活動しているパンクバンドのほぼすべてが存在価値を無くした(遠藤ミチロウは別)。ジョニー・ロットンの言ったことは本人が何も考えていなかったとしても、やっぱり事実だった。

 どんなパンクバンドよりもパンキッシュ。あ、パンクなファッションとかとはまったく次元の違う話だから(次元が違うというのは単に比較不可能というだけの意味)。そしてジャズ。プログレッシブ(「プログレ」とは関係ない)。

 あの場に居合わせた人たちは本当に幸福だったと思う。

 大友さんの日記もぜひ読んでください。トラックバックはちょっと恐れ多いのでパスさせてください。

 ひとつだけ悲しかったのは、私がばてばてで音楽に付いていくのにかなり苦労したということ。体力使い切りました。で、翌日寝込みました。

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2005.06.24

たまには日記。

 某ソーシャルネットワークには毎日とはいわないけど頻繁に日記を付けている。で、こっちに載せないのはなぜかといえば、ログインとログアウトがめんどくさいから。で、たまにはこっちに天才。じゃなくて転載。多少書き換えてあるけど。

 いきなり寝坊。つーか普通いきなりするものだろう>寝坊 まあ、休みの日とかに昼まで寝てるというのはあるけど、仕事があるのにわざと寝坊するってことはないだろう。起きられない場合は病気の可能性が高いので要注意(真面目モード)。

 で、タクシーで目的地へ。最近のタクシーはカーナビが付いてるから楽でいい。こっちもナビできるから。ただ、地図がぐるぐる回るのが慣れない身としては結構辛い。車は免許すら持ってないんだよ。方向感覚無くなるよ。あと、目標物の表示が少なすぎるような気がするけど、あれって自分で設定できたりするんだろうか?

 仕事には余裕で間に合ったふりをする。実をいえば寝坊したおかげでシャワーさえ浴びていないのだが。乙女(笑)として失格か。でものだめがいる! 才能のないのだめを目標として生きていけば人生かなり楽になるが、それってニンゲンやめますか? の坂道を転がり落ちること? ライク・ア・ローリング・ストーン。ローリングストーンズはあんまり聴いたことない。

 そのあとの移動もタクシー。カタツムリなのに高温多湿に弱い。ダメダメ。溶解寸前。

 すべての仕事を終えた後は脳味噌はパキパキだったが(ヤクのせい)、身体はへとへと。最近バストか電車に乗ると……わたしのバストのサイズ知ってどうする? バスとか電車に乗ると、すぐに睡眠モードに入ってしまう。たぶん三十秒以内。乗ってる時間が長いと爆睡モードに。よだれ垂らして寝てるわたくし。嗚呼、のだめ未満だ。

 それでも最近は寝過ごすことはほとんどない。自分を褒めてあげたいです。これこないだも使ったな。リサイクル。限りあることばを大切に。

 家に帰ってきてから荷物がどかどか届いてきた。あと、知人が訪ねてきていくつかの用件をこなす。そのあとは知ったことかと爆睡。

 起きてから簡単な食事。あれを食事というならば、だけど。それから荷物を少し開ける。ボニー・ピンクの新作とアシュ・ラ・テンペルの「振動」。このくらいの組み合わせなら世の中許してくれるだろう。マツケンサンバ(世の中ではもう忘れ去られているかもしれないが、わたしは忘れていないよ。世の中の旬なんて虫。じゃなくて無視)とジミヘンだったら許されるだろうか? 意外と悪くない組み合わせの気がする。queen adreenaとベトベンの「田園」。これも悪くないな。店員が気味悪がるような組み合わせでCDを買うのって難しい。マイク・オールドフィールドと山口百恵は結構いいかもしれないな。

 もうひとつだけ荷物を開ける。ちょっとだけ萎え。でもすぐに人生こんなものさと達観する。オークションで落札したものだが、少し仕事に余裕ができたらきれいにしてあげよう。

 でも、オークションに出品するのに「きれいきれい」にしてあげようって人は思ったよりも少ないのね。ホコリまみれで届いてきたりするし。いや、別にそういうのをきれいにするのは嫌いじゃないからいいんだけど、気にしない人は気にしないんだなと。ゴミが減って金が手にはいるくらいに思ってる人もいるんだろうか? だとしたらちょっとヤダ。単に神経質でない人たちだと思いたい。

 おお、もうこんな時刻だ。身体がべとべとして気持ち悪いけど、眠いので寝ちゃおう。で、明日の朝シャワー……のだめ道を転落しないように早く起きないと。ローリングストーンズじゃないんだから。

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2005.06.21

おいしいことば

 誰にでも読むことができる場所、あるいは閉ざされた場所でわたしはまいにちそこそこの量のことばを食べているのだが、それぞれ甘かったり苦かったりいろいろなんだけど、そういうのを超越して、おいしい、と思えることばが世の中には存在する。それはわたしの個人的な嗜好に過ぎないかもしれないのだけど、そういうことばをたべるととてもしあわせなきもちになる。たとえどんな悲惨な内容であったとしても。

 ことばにはそれが直接指示しているところのものと、そのことばが辞書に載っているのとは違った意味を同時に持つ機能を持つ。具体的な例を挙げるのはいまのわたしにとてもそぐわないのでやめておく。

 読んでいて面白い、興味深い、楽しい、というのとはまったく別な次元でわたしはそれを味わう。それはあらゆる意味で善し悪しとは関係ない。おいしいことばがあるのならまずいことばがあるのかと問われれば、わたしはそこで立ち止まってしまう。ことばと食べ物とはまったく違ったものだと思うから。

 すくなくとも、嫌なことばというのはみたことがあるけど、まずいことばを食べたことはない。視覚と味覚の違い。

 わたしがおいしいことばといっているものと、人を嫌な気持ちにさせることばとは、決して交わらない二つの直線のような関係にある。平行ではない、ねじれの位置って言うんだっけ? 小学校の頃に習って以来だから忘れてしまったよ。

 今日は、ふたつのおいしいことばを食べた。ひとつはここには書けない。もうひとつは世間に向けて公開されているから構わないような気がする。

 一年くらいほとんど本を読んでいないのだけど、やっぱりおいしいことばの本というのは存在していて。とりあえずそういうことばがあれば、生きていくのにじゅうぶんでないとしても(人はパンだけ食べてれば生きてるって言えるわけじゃないけど、やっぱりパンを食べなくちゃならない。どっちも必要なんだ)。

 わたしもおいしいことばを紡ぎ出したいのだけど、無理らしい。でも、わたしの書いたことばを分かってくれているらしい人が数人はいるので、その人たちに分かって貰えるうちは散文を書き続けたいと思うんだけど、そういうのを書くために必要なのが、おいしいことばなんだ。

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2005.06.18

MUSICAL BATON

 ミュージカル・バトンとかゆーネズミ講みたいのが回ってきたよ(from頭脳図さん)。受けて立とうじゃありませんか。じゃ、いきます。

■Total volume of music files on my computer
(今コンピュータに入ってる音楽ファイルの容量)

だいたい3.5Gバイト。自作曲とかテープから取り込んでCDに焼こうとしたヤツとか、ほんとにCDをハードディスクに取り込めるのか? と実験したヤツとか。自作曲のマスタリング、リミックス以外にはパソコンで音楽は聴きません。あ、試聴くらいはしますが。

■Song playing right now
(今聞いている曲)

「今」っていつのこと? これ書いてる時点でってこと? 何にも聞いてない。つーかここしばらくCD聴いてない。
あ、音源はCDとDVD以外にはほとんどありません。

■The last CD I bought
(最後に買ったCD)

これって誤訳だよね「いちばん最近買ったCD」と訳すのが正解。
カバリエの「椿姫」。国内では手に入らなかったので輸入しちゃいました。

■Five songs(tunes) I listen to a lot, or that mean a lot to me
(よく聞く、または特別な思い入れのある5曲)

5曲に絞れるかよ!
とりあえずなんらかのターニングポイントになった5曲を。

・モーツァルト「トルコ行進曲」
 有名なあれです。ちなみにまったりした演奏は嫌い。速くないと! 速くないとトルコ行進曲じゃない、と言い切っちゃうね。だから某有名ピアニストの演奏を聴いたときにはCDかち割ってやろうかと思った。しなかったけどね。
 幼少のみぎりのことだけど、ここから音楽に目覚めたといってもいい。

・尾崎亜美「テンプテーション」
『プリズミィ』というアルバムに収録。ここからポピュラーミュージックに目覚める。

・my bloody valentine「loose my bless」
『my bloody valentine』というアルバムに収録。最初期いたとき怖かった。でも何度も聞いているうちにジャンキーに。このアルバムを聴いてギターに目覚める。それまでギターなんて大嫌いだったのに。
 奨学金でヤマハのギターを買ってしまうが(小嶋さちほみたいだな)、今になって思えばジャズマスターを買えばよかったかもしれないが、次に出てくる割礼との兼ね合いを考えると正解だったかも。

・割礼「溺れっぱなし」
『ネイルフラン』というアルバムのトップ。溺れましたね。ほかにもいくつかのバージョンがあるけど、これがいちばん好き。エレクトリック・チェロが凄いんだ。もちろん宍戸君のボーカルとギターが格好いい。あの、フロイトローズ付きの謎のギター、ものすごく憧れた。 

・Sachiko M「Debris」
 サイン波(正弦波。分からない人は高校の参考書を立ち読みして。ちなみにNHKの時報は正弦派、440Hz)とコンタクト・マイクだけで作られた作品。今どきめずらしい8cmシングル。初めて聴いたとき鳥肌が立った。そして、音楽って何やってもいいんだって思った。

■Five people to whom I'll be passing the baton
(お誘いする5人)

 ブログ友達いないんですけど。でもまあむりやり指名。

・つョさん(新宿電脳旅団
・をるがさん(そっとテラリスト
・プリマさん(シャンパンとチョコレート
・天見三郎さん(天見文庫>日記
・大和太郎さん(Taro Yamato.log

拒否しても呪いとかかからないらしいので、めんどくさい人は無視してくださいませ。

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2005.06.14

倉橋由美子死去

 以前から身体を悪くされていたようだが、ショック。

 まだ読んでいない作品もたくさんあるんだけど(あっという間に本なんて絶版になっちゃうからね)、新作が二度とでる可能性がない、というのは戦慄すべき事実だ。

 日本からまた一人作家が減った。作家は減る一方で、もう増えることはないんだろう。きっと作家や小説という物はそういうものなんだろう。

 合掌。

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2005.06.12

30000

 とうとうアクセス数が三万件を越えた。わたしとしてはすごいことだ。快挙といってもいい。でも検索で来てくれた人が欲しい情報を手に入れられたかどうかはわからないけど、ネット上の、特に日本語の情報は偏りすぎていて、しかも少ないので、ここや、別の場所で、いろいろな情報を提供している。

 あと、検索で見つけた必要だと思われる情報の載っていたらしいサイトが消滅していたりするのもよくあることなので、わたしの方針としては、できるだけそういうことはしないようにするつもりでいる。

 あまり認識されていないような気がするのだけど、旬を過ぎた情報を保存しておくということはとても有益なことで、たとえそのことに興味が無くなっても、何らかのかたちで閲覧できるように保存しておいて欲しいと切に願うものである。

 日記以外はそういう方針なので(日記はほとんどの場合役に立たない)、もしこの場所がなくなっても必要な情報はどこかで閲覧できるように引き継ぐつもり。

 もしわたしが死んでも書物のようにウェブ上に情報が残るようなシステムが欲しいと思う。

 なんか偉そうなことをいろいろ書いてしまいましたが、今後ともよろしくお願いします。更新は滞りがちだと思いますが。いちいちログインするのがめんどくさいんです。

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カリフォルニアドールズ@appel(経堂)

 脳がすべての音をおいしいおいしいと貪り食っていた。

 最初の曲は「暗闇の中」。実際に照明を落として暗い中で二人の歌声が屋根裏部屋みたいな狭いスペースの中に響いていて、小さな窓から漏れてくるわずかな光だけが僕たちの視覚を辛うじて保証してくれるんだけど、でも僕はそれには不満足で、目を瞑って歌声に聞き入っていると、最初は外から漏れてくる自動車か何かの音かと思っていたけどそれは企画された背景音で、僕は自分だけの世界に放り出される。脳が気持ちいい気持ちいいと僕に囁く。五月蠅いとは思うけど、放っておく。脳には脳の権利があると思うから。

 それからいろんな曲をやった。実はカリドルの単独ライブはこれが初めてだそうで、吉田アミさんはとても緊張していると言っていた。和田ちひろさんは最初から最後まで同じスタンスでやっていたように見えた。

 和田ちひろさんの「2days」を聴いたときに感じた不思議なリズム感、というよりも間は、意図しているのかいないのか結局よく分からなかったけど、あの「間」が適切な言い方ではないかもしれないけどカリドルの「闇」を作り出しているんじゃないかって気がする。「闇」っていうと悪い印象があるけど、たとえば"Starless and bible black"見たいな感じ。

 途中から吉田アミさんもリラックスしてきて「ラスボス」とか「BOLO BOLO」とかのハイな曲もやっていたんだけど、全体にまったりと進んでいった。たぶん、お客さんがそんな感じだからかもしれない。さすがにわたし一人で立ち上がって「ラスボス」とか「BOLO BOLO」で踊ったりできない。シャイなんです。もっとキレた性格だったらよかったのにって思う。

 いちばん最後にやったのは「イエロー・サブマリン」。和田ちひろさんがウクレレを弾いて、最初何の曲だかわからなかったよごめんなさい。

 とにかく、生カリドルを聴くことができて、とってもよかった。わたしの脳がいちばん喜んでいた。

 そうそう、衣装がとっても素敵でした。写真をたくさん撮っていたから、そのうちどこかで見られるかもしれない。appelとか。

関連サイト
カリフォルニアドールズ
appel

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2005.06.10

ジェンダー・フリーとファシズム

めずらしくお腹を下している。神経症によるパターンとは明らかに違う。冷たい飲み物とか缶コーヒーとか飲み過ぎてるのかな? 少しのあいだコーヒー控えてみようか。スタバでココア、かな?

今日も疲れて帰ってきてから爆睡。夜になってから友人にデジカメを返してもらいに駅まで。それから少し前に買った(ポイントで)携帯を自慢。どこが自慢かといえば、文字の連想変換機能というのがあって、それがなかなかいいのだ。

でもその機能に頼ると頭バカになるけどね。最近漢字がさっぱり書けなくなっちゃったんだけど、これは手書きをしないため、でもない。手書き時代は字が分からないときは仮名で書いてたし。もともと漢字知らないんだよ。なんか、私の脳って記憶とかに向いていないんだよ。私の脳が最初にいかれたとき母親が記憶力の低下を嘆いていたそうだけど、それは脂肪酸の不足とかもあったかもしれないけど、私の脳自体が破壊されていたのと(思うんだけど、あの時期に年齢の割には大量のニューロンが死滅したと思うんだ。ってことは作れるネットワークも限られてくるよね)、加齢によるものだったと思うのだよ。二十歳過ぎてもただの人、どころかダメになっちゃった。

ダメになっちゃったのはそのときからじゃなくて、物心付いたときにはすでにダメになっていた。天は二物を与えず、っていうけれど、私はダメな上に何も持ってないよ。そういうこともときどきあるんだね。

ちっとも文章が書けない。これは文章なのか? よくわからない。小説って書く意味あるのかな? 最近かなり疑問。言葉のない領域で脳を使っているのもそれと関係ある。

「小説書く意味があるのか」という問いはかなり不正確な問いだね。なんだよ「意味」って。「意義」だったらギャグだよね。だいたい自分が書いてるのってなんだかよく分からないんだよ。自分でもコントロールできない欲望が書かせるんだよ。今その欲望がない。ないわけじゃないけど、あまりない。充足している。書き手と読み手が同一人物(単純な意味で)の何か書かれたものでもいいかなと最近思ってる。自分で書いて自分で読む。他の誰にも見せない。お付き合いとか友情とかそういうのを全部取っ払ったら、誰も私の書いたなにがしかのものを読みたいとは思わないんじゃないだろうか。たとえば道に私の書いたものが落ちていて、それを知人が拾って読む。ふうん、と思ってそこに捨てていってしまうんじゃないかって気がする。書いたヤツを知っているから読めるなにがしかの言葉の連なりなんて、そんなものじゃないかと思うんだよ、強烈に。

その意味では本当に好きな書き手なんて十人もいないと思うんだ。いつでも作家の名前が邪魔をする。良くも悪くも。すべての「小説」は無記名で出版されるべきだ。作家の名前なんてインデックスに過ぎないんだ。

あと関係ないけど友人と会ったときにジェンダーの問題について簡単なやり取りをした。ジェンダー・フリー問題になると私が狂った書き込みをするのはジェンダー・フリーの理念があまりに理解されていないからなのだけど(ジェンダー・フリーの理念はのあなたの生活そのものには変化を求めない。ただし、他人にジェンダーを強要することだけが不可とされる。そういうのは漱石的にいったら少し寂しいのかもしれないけど、何も全人類が強調する必要などないわけで、「国」とか「民族」とかいう仲良しクラブ作ってわいわいやってればいい。ただし誰にも何も強要しないこと)、ジェンダー・フリーがそこそこ理解されていないとわたくしなどはとても住みにくい。こないだも書いたけどセックス(性差)とジェンダーは分けて考えなければならない。ジェンダー・フリーとは究極的にはグレーゾーンを解消することを迫るだろうが、性急にことを進めると必ず失敗する。じっくり取り組んでいくしかない。セックスとジェンダーの違いを理解できないヤツは早急にこの世を立ち去るのが望ましい。

セックス(性差)のグレーゾーンは、逆に解消されてはならない。当たり前だがそのこととジェンダー・フリーは矛盾しないだけでなく同じベクトルを持っている。よく分からない人は性同一性障害について調べてみると良い(性同一性障害に関する情報についてひとつだけ苦言を述べるとしたら(ほんとはたくさん述べたいところだが)、極端な例しか取り扱っていないということだ。色の薄いグレーに関する情報はネット上にもほとんど存在しない)。あと、自らのアイデンティティを性差に持っている人は多いと思うが、そのことをはっきりと自覚した方がよい。それがイケナイというのではなく、自分がどこに立っているかを知る必要があると言っているのだ。

それができないと言うのなら、ファシストにならざるを得ない。もちろんわたしはファシズム(広い意味での)を否定する。なぜならそれは必ず誰かの人権を蹂躙するからだ。仲良しクラブはファシズムの巣窟になりやすいので常に監視が必要だ。それは何も「国家」とか「民族主義」だけではない。自分が正しいことをしていることに疑義を感じないとき、別な言い方をすれば素朴に自分は正しいと感じているとき、あなたはファシストになりかけている。

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2005.06.04

ウーパールーパー

 ほんとの名前はアホロートル。なぜウーパールーパーという名前で売り出されたのかは知らない。現地でそう呼ばれていたのか? 知ってる人教えて。ぐぐるのも面倒。な週末の朝じゃなくて昼。

 アホロートル:一生を幼生で過ごす不思議な両生類。南米原産だったような気がするけど違ったらごめん。どういうわけか成体になるためのホルモンが欠如していて、一生エラ呼吸で過ごす。つまり陸上に上がって来ちゃうと窒息する。肺呼吸できないから。っつーか肺がないから。

 手足の出てきたオタマジャクシのまま一生を終えるカエルといったら分かって貰えるだろうか。ちなみに成体になるためのホルモンを注射してやると普通のサンショウウオと同じように成体に成長する。

 吉田アミさんの76年式辞書を読んで始めて知ったのだが、どうやらニセモノのウーパールーパーが輸入されていたらしい。普通のサンショウウオの幼生をウーパールーパー(アホロートル)だと言われたって、しろーとには分かるはずもない。吉田アミさんが飼っていたのは普通のサンショウウオということになる。まあ、可愛いけどね、サンショウウオ。

 少ししか関係ないけど、「ウーパーダンシング」という歌まで作られていたのだが(誰が作って誰が歌っていたかはあえて伏せる)、そもそもウーパールーパーで何をしようとしていたんだろうか? 当時の状況はよく知らないが、今なら絶滅危惧種に指定されているような生物で、レッドブックにも載ってるんじゃないだろうか(ヒマな人、調べてね)。実物は展示できても売ることは難しかったはずだ。それとも当時はもっと世の中アバウトだったんだろうか?

 全部記憶と推測だけで書いてるので、間違ってる箇所とか衝撃の事実とかがあったら指摘してね。そんなヒマな人いないか。

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2005.06.03

すげーな

 まだ始めて一年も経たないのに本家のアクセス数をとっくに上回っている。しかも最近はネット落ちしてるわけじゃないけど(いや、落ちてるようなもんだな。オクと検索以外ほとんど使ってないからな)、記事はほとんど書いてないし(日記、非公開の場所で書いてるんだ。でもいまナーバスになっているので(笑)、ここに公開する気になれない)。

 バカを晒すのは嫌いじゃないけどさ、なんつーか感傷が入っちゃうようなバカって恥ずかしいじゃん、人として。死にたくなるでしょ。死にたくならないけどさ、クスリ飲んでるから。

 そいえばある人のブログでジェンダー・フリーに関して意見交換をしたんだけど、ジェンダー・フリーに反対してる人たちってものすごく頭悪いか、言葉が読めないかのどちらかだね。あるいは超バカジェンダー・フリー論者しか見たことないとか。そういう人たちは世界の中心にいると思っているんだろうけど、同時に世界の端っこにいるって知ってるって、相手になってくれた人は言った。そうかもしれない。でなきゃ、ジェンダー・フリーの理念から「誰もが同じにならなくてはならない」という「はあ?」というクソバカなジャンプが行われるわけがない。ニーチェもびっくり。

 しかしさあ、ジェンダー・フリー論者だろうがその逆だろうが、あと嫌煙運動かだろうが自然愛好家だろうが、極端に走るとみんなファシストになるのはなぜなんだ? 共通するメタ・メッセージは「自分たちの言うことが正しいのだ。だから従え」だもんな。「正しい」と「従え」のあいだのジャンプもものすごいものがあるな。ヴァン・ヘイレンを見習えよ。聞いたことなかったらセックス・ピストルズを聴け。

 酔っぱらって書いてるって思ってるヤツがいるかもしれんが、クスリやってるだけだからな。しかも医者に処方されたやつ。素面とは言わないが(そういえばそろそろ二年になるな、ヤク始めてから)、エタノールで脳が弛緩/暴走してるわけじゃない。

 ヤク始めるまでずっと何年も「死にたい」って側にいたけど、また「殺してやりたい」って側に戻ってきた。だから最近は誰にでも自分のことをテロリストだと自己紹介している。

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いちおう

 生きてます。

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