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2005.08.25

アクセス数がすごいことに!

 その原因が室井佑月さんの病気のことなので、なんていったらいいのか……

 たまたまbk1にトラックバックしてただけのことなんだけどね。あの記事で小説読みますって書いたけど、まだ読んでません。脳病で本が読めなくなってしまったので。でもやっと最近読めるようになってきたので近いうちに読みたいです。手元にはあるんですよね。

 こういうのがきっかけっていうのはすごく嫌だな……

 今台風来てて、心身共に不調で。体はともかく情緒不安定になっちゃいけないんだけど……医者には黙っとこ。たぶん夏バテのせいだと思うんだけど。

 手術は先のことらしいけど、病気快癒を世界の片隅からお祈りしています。

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2005.08.23

未映子@表参道FAB 2005.08.22

 とにかくすごかったとか素晴らしかったとかそういう言葉しか出てこないし、たぶんそれに従うのがいちばん正しい態度なんだろうけど、少しでもあの場の雰囲気を見てない人に伝えたいので気合いで書きます。

 未映子さん、最初からすごいテンションで登場。最初から最後まで鳥肌立ちまくり。あ、鳥肌立ってたのは私です。当たり前か。

 未映子さんもおっしゃってたけどとにかく短くて。そう、昨日は本当に短く感じた。駆け抜けたっていうか、そういう感じ。

 二曲目の「悲しみを撃つ手」以外はすべて新しい曲。曲名わからないのでセットリストは書けない。ごめんなさい。何曲やったっけ? 6曲くらい? 途中からトランス状態に入っちゃったのでそういう記憶がとんじゃってる。断片的にしか記憶が残ってなくて。

 これまでのライブの中でもパワーとかオーラとかそういう点ではほとんどベストなんじゃないだろうか……って書いて、それはちょっと違うかなと。毎回完全燃焼だから。でも、その中でも昨日のはちょっとスペシャルだったかもしれない。なんていったらいいのかよくわからないよ!

 ただひとつ確実なのは、昨日あの場に居合わせた人たちは本当にラッキーだったということ。

 それから特筆すべきはバックが素晴らしかったということ。ピアノと佐藤研二氏率いるCOTUCOTU――なんとチェロ三人というユニット! しかし弦楽四重奏団みたいなものを想像してはいけない。あくまでもロック。老いたるロックではなくて、変化し続ける、あのロック。超絶テクと壮絶な演奏。頭の中ではONJO(大友良英さんのジャズ・オーケストラ)の演奏とダブるものが。だって、チェロでビートを叩き出してるんだよ。そして爆音。なんで? ピチカートなんて生やさしいものじゃないし。ハーモニック奏法を使った超高音域とか、シンバルで弦を叩いたり弾いたり。超絶ボウイングとか……数えればきりがない無数のテクニックを駆使して、未映子さんの超絶ボーカルと張り合うっていうか。ピアノとチェロでうるさい(もちろんいい意味で)っていうのは! で、未映子さんは「この日をどんなに待ち望んでいたか」っていうことを言うんだけど、メンバー紹介も含めてほとんどMCになっていないほどのテンション。リミッター外れてたと思う。何かを表現するんじゃなくて、未映子さんとバンドそれ自体がすでに表現。もちろん言葉や音が構成要素なんだけど。

「愛と希望」だっけ? みんな笑ったし私も笑ったけど、おかしいから笑ったんじゃなくて直球だったから。直球喰らったら両手をあげて降参するしかないもの。そして直球っていうのはいつでもユーモア(ギャグや冗談じゃなくて、ユーモア)と隣り合わせだから。

 とにかく、私のキャパシティいっぱいまで元気貰いました。夏バテだけど。苦悩に苛まれる日々を送っているけど(笑)。でも、昨日のライブを思い出すとそんなことはどうでもよくなっちゃう。あ、夏バテはなおさないとね。ちゃんと食べなくちゃ。

 ああ、ちっともレビューになってないよ! でも私の頭の中をぶちまければこんな感じ。「ライブっていいよね」じゃなくて、あの場にいることが生きることだという意味でのライブ。

 あと、宣伝になるけど、mixiに未映子さんのコミュニティを作ってあるので、もしこれを読んで興味を持ってくれた人がいたらいらしてください。お待ちしてます。

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未映子のニューアルバム

 タイトルは『頭の中と世界の結婚』。発売は9月22日。
 ¥2,100? まじすか? 安すぎませんか?

 今日はFABのライブに行って来ました。あ、もう昨日か。ライブレポートは明日。

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2005.08.21

ア ヤ   ズ エキシビション バ  ング  ント展

 というのを見に行ったのだけど、「カテゴリー 文化・芸術」というのにどうにも違和感を感じて仕方がない。便宜的なものだということは百も承知だが、そういってしまうとき、それの意図するものと遠く隔たった何物かに変質してしまうのを見るのがとても嫌だ。

 この展覧会はまさにそういう性質のもので、何も語りたくないのだが、いちおうテーマは「消失」、ということになっている。

 でもたぶんそれよりもあの場に足を運んで「楽しむ」というのが正しいんじゃないかという気がする。「ア ヤ」さんは展示期間中ずっと白い箱の中に閉じ籠もり続けている。ちょっと心配な気もするのだけど、「ア ヤ」さんと箱の壁越しに「コミュニケート(?)」できたのはとても嬉しかった。それはとてもプライベートな体験。

 というか、「オ トモ」さんの「音」にしても、「サ ラギ」さんの文にしても、誰一人として同じ体験をすることはない、ということを認識させる。

 それは「文化・芸術」とカテゴライズされてしまうものの特権でもあり、それが常に私的な体験であることとも関係している。

 うまく言葉にできない(そういう部分がいつでも大切なのだが)が、非常にインスパイアされることの多い展覧会だった。

 ちなみに六本木に行くのは生まれてこの方二度目で(いちおう東京生まれ東京育ちだよん。23区内)、前回は十数年前。野暮用で。今回は六本木ヒルズのところで迷った。基本的に引きこもりなのでああいうところにはあまり行かないのだ。帰りは真夜中になってしまったが、アジアンな雰囲気に酔っぱらっているらしい非アジア圏から来たと思われる人たちと、アジア圏の人たちが渾然一体として醸し出す雰囲気はお洒落とはほど遠く、猥雑なアジアの都市であることよ、と実感した。もちろんそういう東京は大好きだ。

 その片隅で箱に閉じ籠もっている「ア ヤ」さん。たぶんどこかで繋がっている。

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2005.08.17

低気圧後廃人

 というわけで廃人ですが、まだ生きてます。

 どうも新しいヤクが脳になかなか馴染まないらしく、睡眠が滅茶苦茶。午前三時に目が覚める。途中覚醒とかいうらしいけど、ネットで調べただけなので違うかもしれない。

 というわけで、仕事にならないので自宅で死んでます(生きてるって書いたじゃん!)。その前に夏バテしてたのが辛い。胃がダメっぽいです。あるいは食べる量が少なすぎるのかも。まずはそこからです。

 で、これから寝ます。朝まで眠れるように祈っていてください。ちょっとそこのアナタ、呪っちゃいけません。呪い返しますよ(笑)。

 お休みなさい。

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2005.08.11

Kamikazeに関する二、三の考察

 日本の夏、戦争回顧の夏、ということで、Kamikazeについて私の知っていることをいくつか書いて、それから今盛んに行われている自爆テロとの関係について考えてみたいと思う。

 私はKamikazeについて二つの側面から直接あるいは間接的に話を聞いたことがある。

 小学校の時の担任のひとりはKamikazeの隊員だった。あと数日戦争が長引いていれば死ぬ運命にあったらしい。鶴田浩二(といってももう知らない人の方が多いかもね)みたいな立場にいた、ということだ。

 私たちに話したのはそれだけだ。たぶん私たちが幼かったからだろうし、あるいは語って聞かせたくなかったのかもしれない。今となっては分からない(すでに他界された)。

 もうひとつは、私の友人には何人かいわゆる帰国子女 がいて、そのうちの一人が話してくれたことだ。

 彼は小学生の頃アメリカに住んでいたのだが、そのときの担任に太平洋戦争を体験した先生がいた。別に彼が日本人だとかそういうことは抜きにして、Kamikazeの恐怖について語ったことがあるという。

 その先生がKamikazeの謂われを知っていたかどうか分からないが、たぶん知らなかっただろうし、知っていようがいまいがその先生の体験に大きな違いが生じたとは思えない。

 いまでもアメリカではある一定以上の年代の人たちには、Kamikaze(「神風」ではない)という言葉の意味するところは知られているはずだ。あるいはもっと一般化しているのかもしれない。でなければNASAが観測衛星を彗星にぶつかるのを覚悟で接近するというミッションを"Kamikaze mission"なんて呼ぶはずがない。

 さて、その先生はアメリカ海軍に従軍していて、Kamikazeを目の当たりにした。

 実際にはKamikazeが効果を上げたのは最初だけで、アメリカ海軍はすぐにすべての艦船に大量の高射砲を設置し、特殊な弾丸(当たらなくてもある一定の範囲に物体があることがわかると破裂して損害を与える)を開発、実戦に配備していたので、Kamikazeのほとんどがその使命を全うすることなく撃墜されていた。

 その先生はそんな状況の下で艦船に乗っていて、Kamikazeがこちらに向かってくるのを見たという。それが限りなくゼロパーセントに近い確率でしか自分の乗っている艦船にぶつかる可能性がないと分かっていても、ものすごく恐ろしくて、戦争が終わって教師として彼に教えていた頃でも、ときどき悪夢に見るほど強烈な体験だったという。

 伝言ゲームになってしまっているので確実な言葉ではないが、要するに「得体の知れない恐怖」を感じていたということのようだ。つまり、自らの身をを挺して国を守っていた軍属という私たちの認識(正確には「私」の認識だが)とはまったく違うものとして受け取られていたのだ。

 話は変わるが、自爆テロの起源がどこにあるかと考えたとき、それがKamikazeにあるような気がしてならないのだ。

 私は歴史にはてんで疎いのだが(なら語るなよ、と自分でも思うのだが)、たとえば殉教というものは自らの信じるもののために殉じることであり、誰かを殺めることではないし、実際そのように行われてきた。

 また、十字軍は非常に暴力的な集団だが、死を前提として目的を達成しようとしていたわけではない。また、殺人教団なんてのもあったらしいが、殺すのが目的であって自分が死ぬことを前提としていたわけではない。

 ではKamikazeの起源はどこにあるのか。で、それは『葉隠』の、「武士道というは死ぬ事と見付たり」にあるのではないかと検索を掛けていて、「松岡正剛の千夜千冊」に行き当たった!

 どうやらそれは『葉隠』の誤読にあるらしいのだ。というか、そういう言葉だけが一人歩きしてしまったのではないか。比較的難解な思想というのはいつでもそういう運命にある(ニーチェの「神は死んだ」とか)。

 でも本当は難解なのではなく、読者の怠惰によるものではないのだろうか。だとしたら、誤読というのは罪なものであると言わざるを得ない。

 自爆テロの起源についてはいずれ考えてみたいが、どうしてもそのモデルがKamikazeにあるように思えてならないのだ。というのもほとんどすべての事柄は新規に発明されたものではなく、何かもデルがあってそれをなぞったり改変したりするものだからだ(歴史とはそういう連鎖のことを言うのではないのか?)。

 で、私の知る限りにおいてKamikaze以外にそのモデルとなるような有名な事象というのは見つからないのだ。

 ただし前述した通り、私は歴史に極めて疎いので、もしそういう何かもデルになるようなものをご存じの方がいらしたら教えていただきたい。

 でももしKamikazeと自爆テロが繋がるのであれば、誤読とはなんと恐ろしいことだろうか。文字通り言葉が人を殺しているのである。

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2005.08.10

さぶろうの詠んだ俳句

「素晴らしい 解析される 野ばらなり」 さぶろう

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 やるじゃん、さぶろう。

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2005.08.08

『それいぬ』嶽本野ばら、文春文庫PLUS

 嶽本野ばらなんてだいっ嫌いだった。宿敵、だとすら思っていた。品性のかけらもないヤツだと思っていた。

 でもそうでもなかった。野ばらがゴスロリならわたしくしはヤンキー。そういう関係(幾何学的なね)。ペダンティックであることよりもほとんど無意識のうちに体言止めを多用してしまうことこそ乙女の証。

 そしてまたここでは倉橋由美子の『聖少女』で記述されていたのとは別の美意識を提示している。それは放蕩よりも自己抑制。そこに発生するエロティシズム。

 それってわたくしの追求してきたものじゃないですか。

 肉体的にはボロボロの状態でこんな薄っぺらい本を苦労しながら読むわたくしは乙女というよりものだめ。だからヤンキーだしパンクスなんだけど。

 どうやら野ばら氏とは精神的異母きょうだいらしい。価値観の違うところも多いけどね。

 あと、念のために書いておくけど、確かにこれは乙女のバイブルだけど、感傷や自己憐憫よりもユーモアや諧謔の方が成分として多く含まれていることを忘れてはなりませぬ。でないとただのイタイ少女になってしまふ。いたいけな乙女になるためには修行が必要なのです。それは本書を精読すれば自ずと分かるところです。

 乙女を自認される方には勘違いされないことを望みます。そう、乙女はいつでも世界の中心にいて愛なんて叫ばずに、ただ下僕に命令を下していればよいのです(愛なんて叫ぶのは野暮の極み、お下劣です)。

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2005.08.07

大友良英&磯端伸一 ギターソロ&DUO @キッド・アイラック・アート・ホール 2005/08/04

 脳味噌腐ってるけど忘れないうちに書いておかないと。本当に素晴らしい瞬間に立ち会ったのだから。

 微音から轟音までということで、演奏中はエアコンが切られていたので肉体的には辛かった。しかもドリンクにワインを選んでしまったので。いちおうクスリ飲んでから2時間は経ってたんだけどな……

 前半後半の2セット。前半はソロ、後半はデュオ。

 1セット目、最初は磯端さんのソロ。ギターはギブソンのフルアコをアンプに繋がずに演奏。

 凄かった。こんなギター聴いたことがない。陳腐な表現しか思いつかないけど、クールでシャープな音色と演奏、そして超絶技巧。ボウイング(弓で弾くこと)とかもやってたけど、なんていうか、私の知っている誰とも似ていない。完全なインプロヴィゼーションなのかある程度曲として形が決まっているのか知らないけど、そんなことは別として、本当にすごい人がいるのだなあと思った。

 演奏のテンションが上がるに連れ、会場は熱気に包まれていった。って比喩じゃなくて。どんどん気温が上昇していた。だってあの日も暑かったもの。あの狭いホールにあれだけ人が入って密閉してエアコン切ったら……正直に書くけど、何度か意識が遠のいた。

 次が大友さん。大友さんもフルアコ。でもアンプを使用。フィードバック奏法にはアンプに繋がなきゃどうしようもない。

 大友さんの出す音は、磯崎さんの後だとそのウォームな音色がひときわ際だつ。こちらも微音から轟音まで。もちろん磯崎さんよりもアンプを使った分より轟音なのだが、この頃になってかな〜り意識が朦朧としてきて、しかも大友さんの出す音がものすごく気持ちいいので、半分居眠りしてました。ごめんなさい。でも、日本の伝統芸能のひとつ、能では居眠りするくらいが素晴らしい舞台という見方(言い訳?)もあるので、勘弁してください。もしつまんなかったり気持ちよくなかったら、気分が悪くなって席を立っていたと思うので。

 で、インターバルの時間に外の空気を吸ったらだいぶ持ち直した。会場もがんがんにエアコンを掛けてくれていた。で、限界まで冷やしたところで2セット目が始まるというわけ。

 後半はアルコールとクスリの影響もほとんど抜けたせいか、暑くても気合いで乗り切れた。

 二人のデュオはちょっと考えられないほど素晴らしいものだった。磯端さんは後半ではギターをアンプに繋いだり、なんだか良く分からない、机上に取り付けられたギターの弦に別のギターの弦をぶつけると音がする装置だとか、ギターのブリッジの後ろの方にその弦を触れさせるとノイズが発生するとか、大友さんの方はピックを弦に挟んで鐘みたいな音を出してみたり、馬蹄形の磁石?で弦を叩いてみたり。そうそうそれから二人とも小さなクリップみたいのを弦に取り付けていたり、至れり尽くせりのアイディアの演奏を披露。凄かった。

 そのあと短めの曲を三曲くらい。これがまた息がぴったり合っていて、恍惚としてしまった。いや、暑かったからじゃなくて。どこまでもクールな磯端さん、どこまでもウォームな大友さん。

 たぶん、いつの時代でもこういう歴史的瞬間というのは訪れているのだろう。それに立ち会えて非常に幸運でした。

 磯端さんのCDを売っていたので購入。なんと\500なり。しかも数日前の演奏じゃん(笑)。なんか凄い時代に生きてるのかもしれない。

 このCDも聴いたら感想書きたいと思うけど、何しろこの暑さでへろへろなので、ちょっといつになるか分かりません。この感想もへろへろだし。恐れ多くも大友さんのところにトラックバックしようかと思ったけどあまりにへろへろなのでやめときます。

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2005.08.06

とことん寝た

 暑さのせいかなんだかしらないけど、夜の九時まで寝ていた。暑さに負けた? 夜の散歩どこじゃないよ。ぐったり。

 で、まだ眠い。どうしたんだ、わたしのからだ。シャワーを浴びる暇(いとま)もない。のだめ化していく部屋。そう、のだめの部屋とは熱力学の第二法則を具現化したものなのだ。

 全然関係ないけど、千円札の人、野口英世が黄熱病の原因を発見できなかったのはそれがウイルスによるものだったからだ、というのを知ってる人がどのくらいいるか知らないけど、ウイルスの正しい定義は生物学事典ででも調べてもらうとして、生物というよりもタンパク質のかたまりに近い。まあ、私たちの体だってタンパク質のかたまりだけどさ。で、DNAレベルの大きさなので電子顕微鏡でないと見えないわけで、野口英世がいくら頑張って光学顕微鏡で探したって無理だったわけ。ところで野口英世の業績ってなんなのか知ってる人ってどのくらいいるのかな?

 嶽本野ばら読んでて次ぎに書く小説の方針がだいたい決まった。ヤフー文学賞に応募して下読みの人が壱行読んだだけで後悔するようなものを書くつもり。イヤガラセともいう。フィルターに掛かる前にイヤガラセをするのだからそれなりの技量が要求されるだろうけど、まあなんとかなるでせう。

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夏の暑さに負けて

 5時間昼寝。夕べよく眠れなかったので。つーかいろいろあってなかなか寝れなかったので。まだ眠い。とこトンネルか。なんだよ「とこトンネルか」って。

 夜中になったら散歩しよう。誰も私のことなんて襲わないだろ?

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こどもにそんなこと教えられません!

 今朝、うちのさぶろうが質問した。

 『濡れ場』ってやかもちがいってたけど…、なんだろう?

 やかもちくんはさぶろうのともだちだ。うちのさぶろうもともだちに変な言葉を教えてないといいんだけど。

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2005.08.04

BlogPet

 ブログペットを飼い始めました。スクロールすると下の方にいます。なまえは「さぶろう」です。突き回して可愛がってやってください。

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