『それいぬ』嶽本野ばら、文春文庫PLUS
嶽本野ばらなんてだいっ嫌いだった。宿敵、だとすら思っていた。品性のかけらもないヤツだと思っていた。
でもそうでもなかった。野ばらがゴスロリならわたしくしはヤンキー。そういう関係(幾何学的なね)。ペダンティックであることよりもほとんど無意識のうちに体言止めを多用してしまうことこそ乙女の証。
そしてまたここでは倉橋由美子の『聖少女』で記述されていたのとは別の美意識を提示している。それは放蕩よりも自己抑制。そこに発生するエロティシズム。
それってわたくしの追求してきたものじゃないですか。
肉体的にはボロボロの状態でこんな薄っぺらい本を苦労しながら読むわたくしは乙女というよりものだめ。だからヤンキーだしパンクスなんだけど。
どうやら野ばら氏とは精神的異母きょうだいらしい。価値観の違うところも多いけどね。
あと、念のために書いておくけど、確かにこれは乙女のバイブルだけど、感傷や自己憐憫よりもユーモアや諧謔の方が成分として多く含まれていることを忘れてはなりませぬ。でないとただのイタイ少女になってしまふ。いたいけな乙女になるためには修行が必要なのです。それは本書を精読すれば自ずと分かるところです。
乙女を自認される方には勘違いされないことを望みます。そう、乙女はいつでも世界の中心にいて愛なんて叫ばずに、ただ下僕に命令を下していればよいのです(愛なんて叫ぶのは野暮の極み、お下劣です)。
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