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2005.11.07

『ユリイカ』11月号 特集文化系女子カタログ

 もっと早く書くつもりだったんですけど、クスリ(向精神薬)の問題とか、突然他のことに嵌ってしまったりしていたので遅くなってしまった。

 きちんとした論考を書くのはやっぱりそれなりの時間を掛けないと無理(文献を読みあさるなど)なことがわかったので、現時点で書けることをとりあえず書いていくことにする。

 とりあえず三回に分けて書くことになる。これが一回目に当たる。

 それからお断りしておくが、ユリイカ11月号についての論考を書くつもりはなく(そんなの無理だし意味無いと思う。読めばそれでOKさ。だってそれは編集者の方がしてくれてる仕事だから)、二人の人物に的を絞って書くことにする。その理由は後述する。

 その二人の人物とは吉田アミさんと未映子さん。名前の順序はユリイカに載っている順序で、特別な意味はない。

 まず、吉田アミさん。ヴォイス・パフォーマー(このいい方は私にはどうもしっくり来ない。聴いたことのある人は知っているだろうが、吉田さんのしていることは必ずしも声帯を振動させることとは直結していない。ただし、吉田さんをご存じない方には解りづらいので、ヴォイス・パフォーマーとさせて頂く)としての活動を軸として、和田ちひろさんとの美少女ユニット「カリフォルニアドールズ」、Sachiko Mさんとの「cosmos」、ユタカワサキさんとの「Astro Twin」などで活躍していて、音楽的には日本よりもむしろヨーロッパで高く評価されている。最近では過去の音源をアルバムにしたときの名前、Asian Beauty名義での活動もしている(最近体調というか脳味噌というかの調子を崩していてライヴにあまり足を運べていないので、最近の音は聴けていない――つい数日前も昼寝して寝過ごした……(涙))。

 その他、数多くのミュージシャンともセッション。個人的には昨冬円盤で行われた飛頭というジャズ(なのだろうか? 何かもっとすごいものがあるバンドだ。アルバム出して欲しい)のバンドとの共演は最終的には狂宴ともいうべき凄まじい何かになっていた。あのときあの場に居合わせたことはどうしようもない幸運だ

 それから今回ユリイカに寄稿したように、最近では文筆活動も盛んになってきている。実はずっと昔からウェブ上に日記のようなものを書いていらしたらしいのだが、紙メディアに露出しはじめたのは比較的最近のことだ。

 そしてウェブでの活動。先にリンクを張ったご自身のサイト、ブログ「日日ノ日キ」、それからソーシャル・ネットワークmixiなど。

 吉田アミさんの仕事の全貌を知りたい方はユリイカ8月臨時増刊号「オタク vs サブカル」を参照されたい。著名ネットワーカーばるぼらさんによるインタビューと、吉田さんの膨大な仕事の大半をカバーした年表が掲載されている(にしてもみんなすごいパワーだなぁと一人ごちてみる。もちろん肯定的な意味で。私なんて二十歳前からずっと廃人か波乱がありすぎるかして、パワー全部取られちゃった。今は抜け殻。いや、最初から抜け殻かもしれんが)。

 そして未映子さん。紆余曲折を経て川上三枝子の名前でデビュー。そのデビューライヴに足を運んだのだが、そこでノックアウトされてしまった。まだそのときは未映子さんのほんの片鱗しか顔を出していなかったのだが

 一曲目がなんと笠置シズ子の「ジャングル・ブギー」。結構、いや、かなり驚いた。ものすごい歌唱力。いわゆるカラオケ的な「歌がうまい」を越えているのは当然だが、ジャニス・ジョプリン的な意味でも、それから演歌歌手(演歌っていうといまどういうイメージか知らないけれど、実はみんなものすごく歌がうまい。普通のポップスを歌ったりすると、オリジナルが霞んでしまうくらい巧い)的にも巧い!

 そして発散するパワーがものすごい。あんまりすごかったので、直立不動(いや、混んでいたので直立できていなかったが)で聴き入ってしまった。

 それからミニアルバム発売。素晴らしいアルバムだったのだが、事務所かレコード会社の方針が明らかに間違っていた。というのも、アルバムに未映子さんの作った曲が――詞も曲も一切収録されていなかったから。

 それから音楽的にはブランクが空くが、『月刊ソングス』という雑誌に未映子さんの描いた絵とことばが連載。それを知ったのはだいぶ後のことなので、全貌は分からないのだが、いつか(後述するが)日記と一緒に本としてまとめて出版して欲しい。あのまま消えてしまうのはあまりにもったいない。

 たぶんその頃から未映子さんのほんとうの姿(あえて「真実」とはいわない。というのもここでいうところの「ほんとう」とはプロセスのことであり、固定された到達点のようなものではないからだ。微分せよ)を見せ始める。

 名前も「未映子」に改めて’03年末に再デビュー。二枚のシングルを出した後に大傑作アルバム『夢見る機械』を発表。作詞はすべて未映子さん自身のものに。作詞/作曲の両方を手がけた曲も収録。ここにやっと「未映子的世界」というものが構築される。

 ライヴ活動も徐々に盛んに行われるようになる。’04年秋には発の単独ライブを行う。折しも台風が接近中というか台風が通過する中行われた(あの日のことは忘れたくても忘れられない。私は低気圧が来ると体調不調に陥るのだが、どうにか駆けつけ、SSRI(抗鬱剤)に助けられながらもものすごいオーラをはする未映子さんを見て、聴いた。エネルギーのかたまり)。

 関西ではラジオのレギュラーを担当。ウェブでは「純粋悲性批判」というブログを開始。もちろんカントの「純粋理性批判」から来ている(あ、そういえば平凡社ライブラリーで出ていた。買いたいけど金無いなー。それにいまよめないし。でも買っておかないとなくなるんだよね、本とCDは)。

 そこに見られるテキストは、吉田アミさんのテキストと対極にあるように見えるが、実は通底している。

 そしてこの秋、『頭の中と世界の結婚』というすごいタイトル(解題は後日)のアルバムを発表。

 先日ははじめて演劇に挑戦(『色爆発』劇子式参照。あ、これは私のレビューね)。

 そして今日はライブだったりする。気合いで行く予定。まいまいはめまいのやまい(谷川俊太郎)。新しいクスリがちょい効きすぎて目眩がするのだが、夜になると抜けてくるのでたぶんSSRIで乗り切れる。休職中なのに。っていうか、こういうことをするために休職しているのだ。今書いてるのもそう。なんかしらんが仕事しすぎてすり切れちゃったのだ。仕事は好きなんだけどね。

 さて、やっとなぜこの二人を取り上げたかを説明できるところまで来た。

 何よりも驚いたのは、ユリイカ11月号にこの二人の寄稿したテキストが並んでいたことだ。いったいこれはどういうことだろうか。

 こういうとき、私はたいてい神様のせいにする。つまり、神様(特定の宗教の「神」とは関係ない。「天」とか「宇宙」とかでもよいが、「ムー」に取り込まれるみたいな……)が私にこの二人について何かを書けと命じていると解釈するのである。偶然? 必然? 偶然と必然の関係については誰でも考える。そういう名前の書物も存在するし、まったく個人的な話でここに書くのは憚られるが(いや、たんに恥ずかしいだけなんだけどさ。個人ブログで自分のこと書いて何が悪い?)、かつてそういうタイトルの連作小説(?)を書いたことがある(そう、私は趣味で「ファンタジー小説」を書いている。でもみてくれは日常的なことを書いた小説に見えるかもしれない。魔法使いも妖精もデフォルトでの異世界もまず出てこないしね)。

 とにかく、この二人のテキストについて書くことにした。

 実はこの二人、共通する部分が意外と多い。

 二人とも76年式だったりする(公表されているから書いてもいいでしょう)。それから二人ともマルチな活動をしている(タレント活動みたいな意味じゃなくて、音楽・テキスト、みたいな区切りで)。そして何よりも、二人とも前衛にいる。吉田アミさんなんかはユリイカでの肩書きが「前衛家」になっているじょ。

 前衛とは何か。答えはそんなに難しくない。ひらひら目新しいことをするのは必ずしも前衛ではない(前衛である場合もあるのだが。いつでも例外は存在する。複雑なものをカテゴライズするためにはグレーゾーンを設けなくてはならない)。

 前衛とは、既存のものに新しい、あるいは別の意味を与えることだ。デュシャンの「泉」が前衛としての価値を持ち続けるのはそのせいだ(もっともい「泉」について述べるとしたら、私程度のレベルのヤツでもかなりの分量を咲かなくてはならないのでここではこれ以上述べない)。つまり、歴史を背負っているということだ。希に突然変異的な前衛が現れることがあるが、ちょっと目新しく見えるものは、たいてい恐ろしく古めかしい。たとえばうんざりするほど繰り返される恋物語。ほとんどが同じパターンで、使っていることばをすべて括弧に入れてしまうとストラクチャー(構造)はほとんど同じであることが分かる。

 では前衛である恋物語を書くためにはどうすればいいか。ストラクチャーはそのまま流用してもいいが、ことばの肌理(テクスチャー)を意識して書けばいいのだ。そのとき、うんざりするほど古くさい物語は突如みたこともないテキストに変貌する。たとえばそういうものが前衛なのだ。もちろんストラクチャーとテクスチャーを逆転させてもいいだろう(ストラクチャーとテクスチャーということばというか概念は、大友良英さんの文章(出典がわからなーい(泣))で読んで刺激を受けて使わせて頂いた)。

 (ちなみに大友さんは今訃報を受けて尋常ではない悲しみに陥っているようです。私は亡くなった方のことを知らないのだけど、心からご冥福をお祈りします。なぜあえてこんなことを書くかといえば、よくわからないけど、私もものすごく悲しいからです。)

 この二人はその意味においてまさに前衛にいる。私の書いていることが分からなければ、CDを聴き、ライブに足を運び、二人の書くテキストを読まなければならない。CDを聴くこととテキストを読むことは誰にでも比較的手軽にできるので、この文章を読んでしまった人はあきらめて実行して欲しい。ただし、一度で理解しようと思わないこと。そういうことはまれにしか起こらない。

 さて、今日はここまでだ。でないと疲れてライブに行けない。

 なお、文中に出てくる書籍・CDなどはアマゾンなどで検索してください。アフェリエイト登録してるんだけど、あんまり好きじゃないので。

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