2008.02.20
2008.02.06
2008.02.03
『THE BEST STATION JOEPO 1980-1984』EPO
少し前、何気なくAmazonを覗いているときにふと"EPO"で検索を掛けたら、紙ジャケシリーズが出ているのに気付いた。去年のゴールデンウイーク前の発売。まあ、あんまり過去の作品ばかり聴いていてもどうかなというのもあって、こういうのには気が付きにくいのだ。それに、気付いたところで、もう聴かなくてもいいや(その作品やアーティストとは関係なく、自分の内部的な問題)と思ってしまうことのほうが圧倒的に多いので、スルーしてしまうのが普通なのだ。
でも今回はちょっと。EPOがいちばんメディアに登場していたのはちょうどこの紙ジャケシリーズの頃だと思うのだけど、まあわたくしとしてはアルバイトができるでもなく、お金なんてものもなく、だいたい途中まではレコードによるリリースで、メディア(こっちはCDとかレコードとか音の媒体ね)が混沌としていたじきでもあったと思う。
たぶん次の記事で書くと思うけど、当時いちばん好きだったアルバム、「VITAMIN E・P・O」なんてFM放送で掛かったのを録音したもの(エアチェックといいました。死語ですね)でしか持っていなくて、曲順がめちゃくちゃだったりしたのでした。
で、このベストアルバムの存在は知らなかったのです。今回新たに作ったものかというとそうではないようで、レーベル移籍などの事情により作られたものなのかもしれません(調べないと、わかりません)。
当時のEPOの社会における位置づけ、音楽的位置づけというのは適当に検索してもらうとして、このベストアルバムだけに関していえば、非常に緻密な計算の上に作られた、ある種のコンセプトアルバムということがいえるかと思います。
「JOEPO」という名前のアルバムはほかにあるのですが、もしかしたら最近ではあまり通じないかもしれないのですが、ラジオの放送局をイメージしたものなのです。日本のラジオ放送局のコード名の最初には、「JO」が付くのですが、それと「EPO」を合体させて作り出した、架空の放送局、というわけです。
山下達郎もですが、EPOの良さを最大限に引き出したアレンジャーが清水信之でした。ライナーノートを読むと、当時まだ二十代前半! 凄腕です。その他にも強力なミュージシャン(いわゆるスタジオミュージシャンがもてはやされていた時代だったと思いますが、実は彼らはツアーミュージシャンとしてでも何でもやっていけるほどの人たちでした。どちらかというとセッションミュージシャンというほうが当たっているでしょう)が多数参加していて、本当に豪華な内容に仕上がっています。同時に、あとの世代に引き継いで恥ずかしくない質を保っているといってもいいと思います。再発されて、懐メロとしてよりも、むしろ非常に新鮮に感じられました。ダイノマイ・ピアノなんてもう誰も覚えていないでしょうけど、EPOのアルバムではたくさん使われていたと思います。普通のローズのエレピとは一味違った独特の風味。80年代で消滅してしまったおとですね。少し残念です。
これを聴いて思いついたのは、両方のファンから起こられそうですが、BONNIE PINKでした。うまくいえないけど、それぞれの時代におけるミュージック・シーンというものが仮にあるとするならば、その位置関係がとてもよく似ていると思うのです。
ということで、BONNIE PINKのファンにもちょっと聴いてみて欲しかったりするのでした。
収録曲
1 JOEPO~DOWN TOWN
2 VITAMIN E・P・O
3 身代わりのバディー
4 JOEPO 1984
5 MAKIG う・ふ・ふ・ふ
6 う・ふ・ふ・ふ
7 くちびるヌード・咲かせます
8 再見・親心広播電台
9 RADIO DEAR HEART
10 土曜の夜はパラダイス
11 WDEAR 499
12 POP MUSIC
13 GOODIES
14 雨のめぐり逢い
15 雨のケンネル通り
16 EPO INSTRUMENTAL MEDLEY