2007.12.30

『恐怖の存在』マイケル・クライトン

『恐怖の存在』マイケル・クライトン、酒井昭伸訳、ハヤカワ文庫

暗いトンさんのとある小説を読んでいる。まだほんの最初のほうだが、すでに息切れしている。脂肪が多すぎてメタボリックになりそうなのだ。みんな食欲も性欲もありすぎるし活動しすぎるし、疲れちゃうよ、という感じ?

主人公の若手弁護士には二人のガールフレンドがいて、彼女たちにも複数のボーイフレンドがいて、これをそのまま日本に持ち込むとどろどろの恋愛模様あるいは横溝正史あるいは村上龍になるのかと思う。

ジャンクフードをたらふく胃袋に押し込んで寝るという発想はすでにメタボリック街道まっしぐら。

いや、そんなことはどうでもいいのだけど、突っ込みどころ満載で疲れる。読んでいると、半分に削ってもいいんじゃないかという気がしてなりません。

でもまあそれはともかくとして、だんだんわかってきたのは、わたしがかなり勘違いしていたということです。暗いトンさんは一種の啓蒙小説を書いていたのです。プラトンに倣うならば百ページもあれば済むだろう小説をなぜこんなに冗長なものとして書いているのか。

その理由は、おそらく主人公の設定から伺うことができるかと思います。主人公はロースクール出身の弁護士ですが、仕事以外ではからきしダメなヤツで、頭は悪いし腕っ節は弱い、女には弱い(いろいろな意味で)、いいところといえば若いところと誠実なところくらい。読者から見れば、弁護士だろうとまあたいしたことないやつなので感情移入もしやすいでしょう。

で、その情けない主人公を啓蒙していくのは超人的だけどちょっとヤなヤツなのです。この辺は設定としてうまいと思います。自分のしなければならないことを超人的な知識や頭脳、そして体力と忍耐力で乗り越えていきます。そして少しずつ主人公にいろいろなことを教えてやるのです。

そのために、どうやらこの本はとても分厚いらしいのです。だからときどき主人公は死にそうな目にあったり苦難にぶつかったりサスペンスも欠かせません。

結局後半加速されて読み終えてしまいました。面白かったけど、個人的にはメタボリックな印象を否めません。半分とは言わないけど、三分の二でも良かったのではないでしょうか。

最後に作者からのメッセージというのと付録というのがあるのですが、これを読んで理解できる人は、本体は読まなくてもいいような気がします。

わたくしはあんまりこういう小説は読まないので、巽孝之さんが絶賛している理由はあまりよくわからないのですが(これはむしろ小説ではなく、長大な説明という類のものだと思うのです。飽きないようにさまざまな仕掛けや趣向を凝らしているわけですが)、まあ読んでも読まなくてもどちらでもいいような気がするのは、書いてあることに関してはもちろん完全ではありませんがひととおりのことを知っていたので、というのもあるかもしれません。つーか、何をいまさら当たり前のことを、なのですが、それが社会に警鐘を鳴らす、ということなのかもしれません。暗いトンさんは当然自分の書いていることの矛盾を知っていたり自嘲しているところもあると思うので、変に反論をするとおバカさんになってしまうので気をつける必要があります。だから、主人公が最初はどうしようもなくおバカさんだったのが、物語の進行とともにどんどん成長していくのです。その意味では教養小説なのかもしれませんが、期間があまりにも短すぎますね。

途中で主人公がとても美形だということが明かされますが、その辺も戦略なのでありましょう。ただまあ笑うしかないほどの偶然で何度も命拾いするあたり、なんともいえません。楽しいです。本当にどうしようもなくひどい目にあうのですけどね。誰でもごめんこうむりたいほどに。
 

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2006.04.10

白水uブックス版 カフカ・コレクション

 高くて買えなかったあれが、uブックスになって再登場! これは買うしかないでしょう。
 
 〈白水Uブックス〉カフカ・コレクション

 『変身』『失踪者(アメリカ)』と毎月刊行されていくようです。これで私も読めます。

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2006.03.29

『対談・文学と人生』小島信夫・森敦、講談社文芸文庫

 小島信夫の怪作『別れる理由』連載終了直後に一年間に渡って行われた対談。小島信夫も森敦も知らない人は適当にぐぐるかアマゾンでも覗いて見て欲しい。

 構成は全十二回、各回の後ろに小島信夫の「追記」が付くという構成になっている。実はこれが曲者で、最初は昔話みたいなところから始まっていくのだが(大量の個人名が出てくる)、対談しているうちにまた同じ言葉が出てきたりするのだが、それがフラッシュバックではなく、ある種の反復として出てくる。言い換えれば、たとえばだが、同じ言葉が異なる角度から論ぜられるということになる。

 それが、対談の中で論ぜられていることと対応して実に奇妙なことになってくる。最初は外から対談を見ているはずだったのに、まるで小説を読んでいるときのように引きずり込まれてしまうのだ。

 そのあたりのことについては対談で詳しく述べられているので(これも奇妙なことなのだが)省略するが、読者と対話している二人(それはあたかも小説の登場人物のようである)との境界がどんどん曖昧になってくる。

 そして最後に読者は放り出される。どこへ?

 あと、少しだけ触れておきたいのは、もう少し若い頃の二人が同じ写真に収まっていて、同性愛のように見える、という件があることと、柄谷行人について二人の一致した見解として「なまめかしい」というのが出てくるのが個人的に萌えだなと(笑)。

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2005.11.07

『ユリイカ』11月号 特集文化系女子カタログ

 もっと早く書くつもりだったんですけど、クスリ(向精神薬)の問題とか、突然他のことに嵌ってしまったりしていたので遅くなってしまった。

 きちんとした論考を書くのはやっぱりそれなりの時間を掛けないと無理(文献を読みあさるなど)なことがわかったので、現時点で書けることをとりあえず書いていくことにする。

 とりあえず三回に分けて書くことになる。これが一回目に当たる。

 それからお断りしておくが、ユリイカ11月号についての論考を書くつもりはなく(そんなの無理だし意味無いと思う。読めばそれでOKさ。だってそれは編集者の方がしてくれてる仕事だから)、二人の人物に的を絞って書くことにする。その理由は後述する。

 その二人の人物とは吉田アミさんと未映子さん。名前の順序はユリイカに載っている順序で、特別な意味はない。

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2005.08.08

『それいぬ』嶽本野ばら、文春文庫PLUS

 嶽本野ばらなんてだいっ嫌いだった。宿敵、だとすら思っていた。品性のかけらもないヤツだと思っていた。

 でもそうでもなかった。野ばらがゴスロリならわたしくしはヤンキー。そういう関係(幾何学的なね)。ペダンティックであることよりもほとんど無意識のうちに体言止めを多用してしまうことこそ乙女の証。

 そしてまたここでは倉橋由美子の『聖少女』で記述されていたのとは別の美意識を提示している。それは放蕩よりも自己抑制。そこに発生するエロティシズム。

 それってわたくしの追求してきたものじゃないですか。

 肉体的にはボロボロの状態でこんな薄っぺらい本を苦労しながら読むわたくしは乙女というよりものだめ。だからヤンキーだしパンクスなんだけど。

 どうやら野ばら氏とは精神的異母きょうだいらしい。価値観の違うところも多いけどね。

 あと、念のために書いておくけど、確かにこれは乙女のバイブルだけど、感傷や自己憐憫よりもユーモアや諧謔の方が成分として多く含まれていることを忘れてはなりませぬ。でないとただのイタイ少女になってしまふ。いたいけな乙女になるためには修行が必要なのです。それは本書を精読すれば自ずと分かるところです。

 乙女を自認される方には勘違いされないことを望みます。そう、乙女はいつでも世界の中心にいて愛なんて叫ばずに、ただ下僕に命令を下していればよいのです(愛なんて叫ぶのは野暮の極み、お下劣です)。

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2004.11.25

第九感界彷徨

 未映子嬢の「第九感界彷徨」をやっっっっっっと手にすることができた。パワーが足りなくて積極的に探せなかったんだよ。

 でも今日近所のリアル本屋さんでぼんやり他の雑誌を探していたら、「月刊ソングス」が一冊だけあった!

 今月号は上戸彩特集なんだけど上戸彩って名前しか知らないよ。ごめん。

 で、この雑誌自体は何とも不思議な雑誌で音楽情報誌であり、後ろの方にはピアノスコア/ヴォーカル&コードの楽譜が付いていて、しかもピアノ用のコード一覧まで載っている。ギター雑誌ともキーボード雑誌ともDTM/レコーディング雑誌とも違う。ちょっと新鮮。

 で、「第九感界彷徨」です。絵とことばからなるページと聞いていたが、今回は先日の単独ライヴ特集。写真見ると思い出すよ。台風の中、台風よりも凄いライヴを見ていた/聴いていたことを。

「第大九感界彷徨」は今回でもう17回目なんですね。いずれ何かと組み合わせて本にして欲しいです、絶対。第一回目には「第九感界彷徨」のネーミングの由来は載っていたのかな? 尾崎翠(おさきみどり)の「第七官界彷徨」。昭和の初めに「活躍」した作家。これからというときに睡眠薬(だったかな? ごめん、本を取り出すと上の物が崩れてきそうなので)の飲み過ぎでちょっと頭がいかれちゃって故郷に連れ戻されてそれっきり。そのとき三十代の後半。

 その後は二度と「文壇」に戻ることもなく故郷で行かず後家として生涯を終える。戦後花田清輝に「再発見」され、全集が刊行される前後に亡くなった。

 尾崎翠はある夏に読んでめちゃくちゃショックを受けた作家で、その作品のひとつは太宰治にも絶賛されたのだが、未映子嬢も私が感じたのと同じでないとしても何かを感じ取ったのだろうか。感じ取ったんだろうね。だから「第九感界彷徨」というタイトルを付けたんでしょう。

 ちなみに尾崎翠の「第七官」というのは、人には五官があり、その上には第六官というのがあるそうだ。それならば「私」は第七官に訴える詩を書いてある作家に送ろう、という女の子が田舎から出てきて東京で兄弟や従弟と奇妙な暮らしをする話。小説の中で出てくる「苔の恋」はそのすじでは有名。

 読んでみたい人は絶版にならないうちに手に入れておいた方がいいでしょう。ちくまからいくつかのヴァージョンで出ています。本屋さんのサイトで検索すればすぐに見つかるはず。

 次回は絵とことばのコラボレーションに戻るのでしょう。楽しみにしています。

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2004.10.05

『ロングシーズン』佐藤伸治著、河出書房新社

 ブログの検索にフィッシュマンズの詞、というのが引っ掛かっていたので、これを紹介しておきます。実は私、持ってないんです。でも、こういうの書いちゃったら買わなくっちゃだよね。だいたい、フィッシュマンズのCD全部集めてないし。まだ、ポリドールだけ。でも、マキシとかシングルはまだなんだよね。ポニーキャニオンはこれから。なぜかって?いろんな音楽を聴きたいし、何といっても経済問題。なかなか買えない。廃盤にならないうちに、月に一枚ずつでも買おうかな。

 そこでこの詩集というか詞集というかなんだけど、たしか佐藤伸治の書いたすべての詩・詞が収録されているんだと思った(間違ってたらごめん。買ったら確かめてみる)。楽曲はもちろんなんだけど、佐藤伸治の詩・詞の世界に浸ってみる、溺れてしまう、というのはたぶんある人たちにしかできないことだと思うんだけど、もし検索掛けてきた人がそうなってしまっても責任取れないけど(二度と元へは戻れない)、それは此岸にいながら彼岸を思い、彼岸にいながら此岸を思うような(決して「幸福」という言葉は使いたくないので迂遠な表現になってしまっているのだけど)、あるいは今の季節なら考え事をしながら歩いていたら突然金木犀の匂いに包まれていた、というような体験だ。

 今の私に書けるのはここまで。買っちゃったら書き加えるね。

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 手に入れました

 すべての詩・詞に目を通したわけじゃないけど
 いちおう大まかな年代順に三つの章に区切られていて
 最初から順番に読んでいくのも悪くないかもしれないけど
 適当に開いたページに
 書かれている詩・詞を読めばそれでいいんじゃないかなって
 気もするんだよ

 本の最後に
 JASRACのシールが貼ってあるけど
 これは必要悪?

 仕方ないから
 JASRACのお目こぼしを願って
 帯に書かれている「新しい人」の一部を引用するよ
 そうすることは誰にとってもよいことだと
 JASRACにとってもよいことだと
 信じて
 引用するよ。

音楽はなんのために 鳴りひびきゃいいの
こんなにも静かな世界では
心ふるわす人たちに 手紙を待つあの人に
届けばいいのにね

 たった四行だけど、きっと誰かの心をふるわせると
 信じて疑わない

 それから
 もしこの本をどこかで見かけることがあったら
 どうしても
 手に取ってみてください

 もしあなたの心がふるえたら
 あなたはフィッシュマンズにとらえられてしまうだろうし
 もしあなたの心がふるえなかチたら
 フィッシュマンズはあなたから永遠に逃れてしまうかもしれない

 少し悲しいけど
 そうなんだと思う

 そしてもし、佐藤伸治の歌
 フィッシュマンズの世界に触れてみたいと思ったら
 とりあえず
 ポリドール時代のベスト
 「Aloha Polydor」
 あたりを
 少なくとも三回は聴いてみてください
 
 もしあなたの心がふるえたら
 あなたはフィッシュマンズにとらえられてしまうだろうし
 もしあなたの心がふるえなかったら
 フィッシュマンズはあなたから永遠に逃れてしまうかもしれない

 少し悲しいけど
 そうなんだと思う

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2004.09.22

ジュンク堂新宿に出店!

 なんでも新宿三越の7・8階に出店するんだそうな。時期は10月下旬。場所的には微妙。

 しかし、ジュンク堂ってなぜか京都店にしか行ったことがないんだよね。東京に住んでるのに。謎。で、ついたくさん買って帰るときになって思い切り後悔したり。

 個人的には本屋は多いに越したことはないので歓迎なんだけど、新宿の、西口方面が寂しい限りなのは何とかして欲しい。需要がないのかな?

 ジュンク堂書店

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2004.08.07

『ブライススタイル』ジーナ・ガラン、CWC

 ブライスに魅せられた人たち必携の写真集。

 あの、VOGUE誌に一年間連載されたブライスたちをはじめ、1stアニバーサリーから今年の3rdアニバーサリーの展示会で展示されていたブライスたちのほとんどの写真を、展示会場じゃなくていろいろな場所で撮影したもの。

 ……なんて書いてる場合じゃないですよ!どれも全部ブライスなのに、どの子も全然違ってる。着ているもの、ヘアスタイリングはもちろん、性格もみんな違っている!ジーナらしく、いろいろな場所で、たぶんそれぞれの子にとって最大限の魅力を引き出していると思われる場所で撮影してるの。

 すごいと思うのが、屋外で撮影されている子たちが、なぜか小ささを感じさせないこと。とても魅力的なファッションモデルそのもの。人形のはずなんだけど、生きてるの。

 ブライスドールをもう何体も持っていて、自分でも写真を撮ってますよ、という人にもぜひ見て欲しい写真集です。ものすごく参考になると思います。

 うちの子たちが見たら、私を恨むかもしれない……もっといいもの着せてきれいな写真撮ってよって。

 でも、プロフェッショナルによるスタイリングに、プロフェッショナルによる撮影なんだから、かなうわけありませんよ……許して。

 ちょっと高価なんですけど、ブライスをよく知らないけどちょっと興味があるなって方にも手に取っていただきたい写真集です。

 [bk1へ]

(ブライスについては左側サイドバー「公式サイト系」の「Blythe」をクリックしてください。)

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2004.07.24

『クレイジー・ダイアモンド/シド・バレット』マイク・ワトキンソン、ピート・アンダーソン著、小山景子訳、水声社

 シド・バレットの決定的な評伝。今後これ以上のものは出ないだろう。

 そもそもシド・バレットとは誰なのか、というところか説明しなくてはならないかもしれない。英国におけるポップミュージック(もちろんロックだろうがメタルだろうがポップミュージックだ)に興味のない方は読み飛ばした方がいいかもしれない。

 ピンク・フロイド――もうすっかり伝説化してしまったが――が活動を始めたと言っていいのは、おそらく1966年のことだろう。それ以前からバンドは名前を変えたりメンバーが交代しながら存在していたが、メンバーが固定してクラブで演奏を始めたのが66年のことだった。シド・バレット(ギターとリードボーカル)、ロジャー・ウォーターズ(ベース)、ニック・メイスン(キーボード)、リック・ライト(ドラムス)。この四人が後に続くピンク・フロイドの創設時のメンバーといって良いだろう。最初のアルバムはこの四人で録音されたのだから。

 しかし、シドは二枚目のアルバムの途中でバンドを去ることになる(直接関係ないが、ずっと後になって出されたピンク・フロイドのボックスセットにはファーストアルバムは収録されていなかった。たぶん、その後のサウンドとあまりに違いすぎていたからだろう)。そしてその後シド・バレット名義の二枚のアルバムを出し、70年代の始めに「スターズ」というバンドでギグに出て失敗し、その後音楽シーンから完全に姿を消してしまった。

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