『恐怖の存在』マイケル・クライトン
『恐怖の存在』マイケル・クライトン、酒井昭伸訳、ハヤカワ文庫
暗いトンさんのとある小説を読んでいる。まだほんの最初のほうだが、すでに息切れしている。脂肪が多すぎてメタボリックになりそうなのだ。みんな食欲も性欲もありすぎるし活動しすぎるし、疲れちゃうよ、という感じ?
主人公の若手弁護士には二人のガールフレンドがいて、彼女たちにも複数のボーイフレンドがいて、これをそのまま日本に持ち込むとどろどろの恋愛模様あるいは横溝正史あるいは村上龍になるのかと思う。
ジャンクフードをたらふく胃袋に押し込んで寝るという発想はすでにメタボリック街道まっしぐら。
いや、そんなことはどうでもいいのだけど、突っ込みどころ満載で疲れる。読んでいると、半分に削ってもいいんじゃないかという気がしてなりません。
でもまあそれはともかくとして、だんだんわかってきたのは、わたしがかなり勘違いしていたということです。暗いトンさんは一種の啓蒙小説を書いていたのです。プラトンに倣うならば百ページもあれば済むだろう小説をなぜこんなに冗長なものとして書いているのか。
その理由は、おそらく主人公の設定から伺うことができるかと思います。主人公はロースクール出身の弁護士ですが、仕事以外ではからきしダメなヤツで、頭は悪いし腕っ節は弱い、女には弱い(いろいろな意味で)、いいところといえば若いところと誠実なところくらい。読者から見れば、弁護士だろうとまあたいしたことないやつなので感情移入もしやすいでしょう。
で、その情けない主人公を啓蒙していくのは超人的だけどちょっとヤなヤツなのです。この辺は設定としてうまいと思います。自分のしなければならないことを超人的な知識や頭脳、そして体力と忍耐力で乗り越えていきます。そして少しずつ主人公にいろいろなことを教えてやるのです。
そのために、どうやらこの本はとても分厚いらしいのです。だからときどき主人公は死にそうな目にあったり苦難にぶつかったりサスペンスも欠かせません。
結局後半加速されて読み終えてしまいました。面白かったけど、個人的にはメタボリックな印象を否めません。半分とは言わないけど、三分の二でも良かったのではないでしょうか。
最後に作者からのメッセージというのと付録というのがあるのですが、これを読んで理解できる人は、本体は読まなくてもいいような気がします。
わたくしはあんまりこういう小説は読まないので、巽孝之さんが絶賛している理由はあまりよくわからないのですが(これはむしろ小説ではなく、長大な説明という類のものだと思うのです。飽きないようにさまざまな仕掛けや趣向を凝らしているわけですが)、まあ読んでも読まなくてもどちらでもいいような気がするのは、書いてあることに関してはもちろん完全ではありませんがひととおりのことを知っていたので、というのもあるかもしれません。つーか、何をいまさら当たり前のことを、なのですが、それが社会に警鐘を鳴らす、ということなのかもしれません。暗いトンさんは当然自分の書いていることの矛盾を知っていたり自嘲しているところもあると思うので、変に反論をするとおバカさんになってしまうので気をつける必要があります。だから、主人公が最初はどうしようもなくおバカさんだったのが、物語の進行とともにどんどん成長していくのです。その意味では教養小説なのかもしれませんが、期間があまりにも短すぎますね。
途中で主人公がとても美形だということが明かされますが、その辺も戦略なのでありましょう。ただまあ笑うしかないほどの偶然で何度も命拾いするあたり、なんともいえません。楽しいです。本当にどうしようもなくひどい目にあうのですけどね。誰でもごめんこうむりたいほどに。