2006.08.22

『手をはなしたとき目をつむっていたのかそれとも最初から目はつぶれていたのか』@王子小劇場

 ジャン・ジュネの『女中たち』をもとにした舞台。この前の週末に見に行ってきた。

 で、最初に断っておくが、これは単なる感想であり、批評ではない、ということ。批評できるほどわたしは舞台を見ていない。

 時間は一時間半ほど。安易に感情移入させるような舞台ではない。

 ちなみにわたしがこれまでにみた、近代以後の最高の舞台は、村上春樹原作の『エレファント・バニッシュ』だ。村上春樹の短編を徹底的に読み込み、その構造を舞台の上に立体的に再現して見せた。

 今回見に行った『手をはなしたとき目をつむっていたのかそれとも最初から目はつぶれていたのか』は小劇場なのでそれほど凝ったことはできないが、まあ、先の『エレファント・バニッシュ』の近傍に位置する舞台ではなかったかと思う。

 で、見たことをそのまま書くよりも、音響的な用語を用いるというアナロジー的な手法により感想を書いていくことになるだろう。

 最初に気が付いたのは、スモークが過剰なほど出入り口から流れ出ていたということだ。スモークは視界を微妙に霞ませるわけだが、音響的にいえば、残響(リバーブ)にあたる(断定しているのはアナロジックに語っているからだ)。そこで、そういう世界の中で展開される舞台だと理解した。

 舞台では、八人の役者が次々と二人の女中たちの役を演じていく。同じ場面が二度から三度繰り返される。これはエコーだ。やまびこ、鳴き龍などのような効果。あるいはディレイ(遅延)、ダブリング(重複)。

 現実にはいつでも付きまとうことだが、「差異」と「反復」はそこで直接再現されている何かにはいつも深く付きまとっている。たとえば同じ舞台でも日にちや時刻によって微妙に異なるわけだが、ここでは「差異」と「反復」が意図的に観客に提示されている。同じ場面を、別の役者が、同じだったり微妙、あるいは大きく異なる台詞と演技で「差異」を強調していく。

 リバーブ+エコー。音作りの基本。それは音がものすごく遅いからだ。秒速約340m。信じられないほどの遅さ。たとえばコンクリート打ちっ放しの地下室で楽器を演奏するなら、嫌というほどそれを思い知らされる。

 この舞台の根本は、音の特性に根ざした「差異」と「反復」にあるのではないかと感じたわけだ。脚本書いたり演出した人がそんなことを考えていたかといえば、違うのだろうけど。

 そして、ジャン・ジュネ役の人によって(あの人は役者にカウントされていないみたいだ)、舞台空間はときどき攪乱される。それはそこが舞台空間であることを常に喚起させるわけだが、あそこに来ていた観客にそこまで無垢な人はいないと思うので、ジャン・ジュネ役の人は同時にジャン・ジュネとは違う誰か(その人自身でもない誰か)として機能していたように思う。

 で、わたしは未映子さんが出演するというので見に行ったのだが、よい意味で、未映子さんは未映子さんだった。未映子さんとしての「差異」を現出させていた、ということ。

 ジュネの『女中たち』は読んだことがない。アマゾンで検索してみたら絶版だった。よくあることだが。ということで、わたしは『女中たち』を読まずに見に行ったわけだが、それはそれで構わないと思っている。ジュネの原作を知らなくとも、あの舞台の脚本が、原作を解体して再構築されたものであるということは、これまで述べてきたような構造からも明らかだ。おそらく時間的な順序もそのままではないのだろう。

 そして、どこまでが舞台の中における「現実」かそうでないのかも、リバーブ+エコー、解体+再構築によって分からなくなってしまっている。まさに霧の中。

 ちっとも舞台の感想になっていないが、今のわたしにはこういう見方しかできないので仕方がない。上手くいっていないと感じる部分もあったが、そんなことよりもくどいほどの「反復」と、それに伴う「差異」を見せつけるやり方を選択した大胆さを賞賛したい。

 ひとことでまとめてしまえば、非常に興味深い舞台であったということだ。

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2005.10.31

『色爆発』劇子式第1回公演@新宿ゴールデン街劇場 2005/10/29

「劇子式」とはシンガー・ソングライターの未映子「毛皮族」の延増静美、メイクアップアーティストのMIGANG、の三人で結成された演劇ユニット。未映子、延増静美の二人が舞台に立ち、MIGANGがメイクその他を担当する。実質的には二人舞台。

 それの第1回公演『色爆発』を見てきた。ゴッホがオランダを旅立ち、自殺するまでの話。

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2005.10.30

えーと

 書くこといっぱいあるんだけど、ちょっと待ってね。

○劇子式『色爆発』
○ユリイカ11月号 文科系女子カタログ
 ・吉田アミ「美しき穉き少女に始まる文化系女子攻略徹底ガイド付き戦記」
 ・未映子「先端で、さすわ さされるわ そらええわ」

 順番は入れ替わると思う。

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2005.08.21

ア ヤ   ズ エキシビション バ  ング  ント展

 というのを見に行ったのだけど、「カテゴリー 文化・芸術」というのにどうにも違和感を感じて仕方がない。便宜的なものだということは百も承知だが、そういってしまうとき、それの意図するものと遠く隔たった何物かに変質してしまうのを見るのがとても嫌だ。

 この展覧会はまさにそういう性質のもので、何も語りたくないのだが、いちおうテーマは「消失」、ということになっている。

 でもたぶんそれよりもあの場に足を運んで「楽しむ」というのが正しいんじゃないかという気がする。「ア ヤ」さんは展示期間中ずっと白い箱の中に閉じ籠もり続けている。ちょっと心配な気もするのだけど、「ア ヤ」さんと箱の壁越しに「コミュニケート(?)」できたのはとても嬉しかった。それはとてもプライベートな体験。

 というか、「オ トモ」さんの「音」にしても、「サ ラギ」さんの文にしても、誰一人として同じ体験をすることはない、ということを認識させる。

 それは「文化・芸術」とカテゴライズされてしまうものの特権でもあり、それが常に私的な体験であることとも関係している。

 うまく言葉にできない(そういう部分がいつでも大切なのだが)が、非常にインスパイアされることの多い展覧会だった。

 ちなみに六本木に行くのは生まれてこの方二度目で(いちおう東京生まれ東京育ちだよん。23区内)、前回は十数年前。野暮用で。今回は六本木ヒルズのところで迷った。基本的に引きこもりなのでああいうところにはあまり行かないのだ。帰りは真夜中になってしまったが、アジアンな雰囲気に酔っぱらっているらしい非アジア圏から来たと思われる人たちと、アジア圏の人たちが渾然一体として醸し出す雰囲気はお洒落とはほど遠く、猥雑なアジアの都市であることよ、と実感した。もちろんそういう東京は大好きだ。

 その片隅で箱に閉じ籠もっている「ア ヤ」さん。たぶんどこかで繋がっている。

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2005.08.10

さぶろうの詠んだ俳句

「素晴らしい 解析される 野ばらなり」 さぶろう

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 やるじゃん、さぶろう。

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2005.06.14

倉橋由美子死去

 以前から身体を悪くされていたようだが、ショック。

 まだ読んでいない作品もたくさんあるんだけど(あっという間に本なんて絶版になっちゃうからね)、新作が二度とでる可能性がない、というのは戦慄すべき事実だ。

 日本からまた一人作家が減った。作家は減る一方で、もう増えることはないんだろう。きっと作家や小説という物はそういうものなんだろう。

 合掌。

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2004.12.30

『走れメルス 少女の唇からはダイナマイト!』NODA・MAP 第十回公演(2004/12/28)

 とりあえず、海を隔てた「こちら岸」と「向こう岸」の世界があって、メイン・ポジションを占める両岸の男女のペア以外はすべて一人二役。

 二つの世界を隔てるのは海だけではない。重要なのは「鏡」だ。

 私に書けるのはそこまで。ネタバレするしね。

 ところで演劇はものすごく久しぶりで、野田さんのを見るのはたぶん二度目くらいだと思うのだけど、みんなあんまり早口なので最初なかなかせりふを聞き取れなかった。それが残念。みんな笑ってるのにひとりだけ聞き取れなくて笑えなかったり。

 もっとも、人の言葉を聞き取るのは昔から苦手なのだ。

 でも途中から慣れてきて、世界にハマることができた。野田さんはやっぱり凄いなと思った。見ていて面白かったし、余韻を残させるし、そして嫌でも考えさせられる。いや、考えさせなくてもいいのかもしれないけど、野田さんの魅力のひとつはやっぱりそこにあると思うのだ。って二度くらいしか見たことないのに偉そうなこと書くなよ。

 鏡、鏡、鏡、鏡、鏡、鏡、鏡、…………

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2004.07.27

ショック! 中島らも死去!

またまたヤフーのヘッドラインをだらだら見ていたら!

日刊スポーツの記事だったんだけど、脳挫傷などのため、ということだ。五十二歳。

たいへんな人を失ってしまった。どうしたらいいんだろう?

とりあえず、合掌。

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もう少ししてから、より詳しい状況がヤフーの社会ニュースに載っていた。「26日午前8時16分、脳挫傷のため」なくなったということだそうだ。すでに密葬は今日(27日)のうちに済ませてしまった、ということは、もう灰になってしまったんだ……

さようなら。面識も何もないけど、ファンというほどの読者でもなかったんだけど。心の中に空いた穴は、たぶんこのままずっと埋まらないんだろう。ただ、忘れてしまうだけ……そしてときどき思い出すんだろうな。

「追悼」なんて帯を本に付けて欲しくないなあ。

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さらにその後、アサヒ・コムの記事を見たら、

事務所によると、中島さんは16日未明、神戸市内で酒を飲んだあと、階段で足をすべらせて転落。頭を強く打って神戸市内の病院で手術を受けたが、意識が戻らなかった。

私は「重傷」という言葉しか目にしていなかったのだが、実際は「意識不明の重体」だったんだ。

亡くなる前日、友達と飲んでるとき、『牢屋でやせるダイエット』なんかも話題に出ていたんだけど、そのときは拘置所から出てくるのと同じように退院できるものだと漠然と思っていた。

アル中とは別の、病院ネタの小説かエッセイが読みたかったよ……

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7/28

夕べは本好きの人の中で「中島らも、死んじゃったよ……」とつぶやいたら、二人だけが反応してくれました。
私もそんなにたくさん読んでるわけじゃないし芝居も見てないけど80年代のぴあとか、新聞とか、そういうところの影響もまた非常に受けていたりしたわけなんですよ。

でも自分でも良く分からないショックを受けて精神安定剤を飲んじゃったりしたわけなんですよ。
シャンパンとチョコレートのプリマさんとはショックの受け方が違ったかもしれないけど、そんな感じだったんですよ。

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